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装う行為が、忖度より内省に導かれるとき、新しい消費が始まる

10年ほど前から「クラフトビール・モーメント」という言葉が消費財の世界で市民権を得ている。大手ナショナルブランドが巨額の広告宣伝費用をつぎ込んでシェアを競う時代から、小さな地方の醸造所がこつこつと作るクラフトビールが消費者に喜ばれる時代へ、消費の大きな転換点を意味する。

その背景には、お仕着せの定番より「本当にいいもの」を探す消費の成熟と、インターネットによって弱小プレーヤーも大手とそん色なく消費者とつながれるという事情がある。

「クラフトビール・モーメント」は飲食を中心に始まったものの、アパレルや化粧品の世界では歩みが遅かった。しかし、パンデミックにより消費者の心理と行動パターンが大きく旋回することから、これからは装いや化粧でこの動きが加速すると考える。

では、衣装、化粧など「身にまとう」ものの世界では、なぜクラフトビール・モーメントが遅れたのだろうか?それは、これらのカテゴリーが本質的に、本人にとっても気が付かないほど他人の視線を気にして選ぶもの、すなわち虚栄や忖度の比重が大きいものだからと思う。

装いとは、古くは階級の誇示手段であり、現代においては「スーツはサラリーマンの制服」と揶揄されるように、集団同調のシグナルだ。したがって、何を着る、どのように化粧をする判断は、一見自分でしているようで、その基準には(自分の脳を通して)世間の目が大きく含まれている。働く女性にとっても、凝った化粧好きは少数派だ。大多数は、「ちゃんとして見えるように」ルーチン化した化粧のひとときを忙しい朝に押し込むことになる。

ところが、パンデミックがこの事情を根本から覆してしまった。外出自粛や、ひとが集まること自体を問題視する傾向により、「世間の目」という規範が急に緩くなったのだ。したがって、まさにクラフトビールを目利きするように、装いにも「何が本当に私にとっていいのか?」を問う瞬間が訪れる。

もちろん、虚栄は人間の本質ゆえ、装いの選択において「ひとからどう思われる」忖度がなくなることはないだろう。しかし、社会規範のタガが一気に緩むことで、何を着る、どう化粧するという選択肢が大きく広がることは確かだ。

例えば、着物が好きなひとは男女ともに一定数いるが、これまで着物はお茶や歌舞伎鑑賞に押し込められ、ホワイトカラーの職場に登場することはほぼ選択肢になかった。しかし、もし自分にとって心地いいのであれば、リモートワークを着物でしても構わない。バーチャル会議に着物姿が映っても、オフィスで受けるほどの違和感はないだろう。そのうち、バーチャルの常識がリアルのそれを凌駕し、数少ない対面のミーティングに着物で登場するひとがあってもおかしくない。

化粧においても同じく、「なんとなく同調のため」ではなく、何をどう大切にするから、私はこのように化粧をするという文脈を見つけることが重要になる。

実はパンデミック以前から、ミレニアル世代は、忖度から解放された化粧を楽しみ始めていたのかも知れない。例えば、Alexandria Ocasio-Cortez、通称AOCという若干30歳の米国下院議員が堂々と18分の「メークアップ指南ビデオ」をアップし、20万件ものLikeを集めたことは、ちょっとした事件だ。

彼女は年上の男性政治家に臆さず立ち向かう態度で有名だが、自分の気持ちが上向くからメーク大好き、真っ赤な口紅は自信アップにいい、というあっけらかんとした態度で、何種類ものメークグッズを駆使してこのビデオを撮っている。媚びでも同調でもなく、「自分のため」という主張が新しい。

パンデミックに背中を押され、年上世代でもこのような態度が認められるようになるとき、メーカーの役割は大きく変わる。これまでは知識に乏しく迷える消費者を指南する立場だったものが、これからは、十分な知識も自信もある消費者と対等に接する必要がある。必ずしもメーカーではなく、AOCのような「場外」インフルエンサーが消費者を先導する時代が来る。

遅れてきた「クラフトビール・モーメント」は、しかし、装い市場の衰退を意味するものではないと思う。かつて花開くことのなかった男性のメークや、IoT技術に支えられたパーソナライゼーション、すなわち一人ひとりに即したスキンケアは新しい需要を開くだろう。食生活やトレーニングまで踏み込んだ「肉体改造」に新しい装いのニーズが顕在化するかもしれない。

同調や忖度から内省へと重心が移るとき、メーカーやメディアが大きなトレンドを外から押し付けることの意義は薄れるだろう。その代わり、ひとりひとりの自己表現を内から手伝うことに重きが置かれる。このとき、「装い」の提供側には、自らの価値を問い直す大きな意識改革が必要とされる。


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