津屋崎祇園山笠の後継者育成ー子ども山笠を実施するー

私は、300年続いている津屋崎祇園山笠は、大事だと思っている。

個人としてもそう思うし、社会の中の装置としても代替不可能なものであると思っている。
不可能ではないか。ただ、再び同じレベルのものを作り直そうと思ったとき、長期的なトライアンドエラーが必要なように思う。その長期の中で健全な評価をし続けることは至難の業であるし、その評価ができる人材がいるかどうかはもはや運でしかない。ほぼ不可能だと思われる。

私は、津屋崎祇園山笠の事務局長であると同時に、後継者育成事業として小学校での授業を任されている。もう10年ほどになる。

任された当時25歳。借金もして新規事業を立ち上げたばかりで忙しいはずだったが、精神の配分は難なくできていた。今お願いされていたらどうなっていたのだろうと思ったりもする。

当時、山笠発足300周年で記念誌を作成したので、歴史には詳しかった。
しかし、山笠そのものの右左は全くわからず、現状も把握しているわけではなかった。

山笠に出ている人で津屋崎の行事が動いていることが多いことや、その人達のつながりが強いこと、消防団等の防災活動も担っていること、この人たちにお願いすれば大体のことは解決すること、などは感じ取っていた。
ただのお祭りではなく、地域を動かす装置としてあるんだろうと。

小学校での授業を任されたとき、私はまず「これは小学校で行う教育の一つ」であることを意識した。

山笠の後継者がほしいから授業をして、地元に残ってもらおうなんて考えはもってのほか。魅力のかけらもない。

したがって「300年続くには続くだけ理由があって、それを観察してもらう」ことを大事にしようと考えた。

山笠の神事的な意味や歴史を伝えながら、神様をそこまで信じていない現代でも色んな人が参加し、地域にとっていいことが起きている、それってなんでだろうと。

それを、見て、考えてもらうことは、子どもたちの人生にとってプラスに働くだろうと考えた。

この姿勢は、10年たった今でも変えていない。
山笠の授業を通して彼らの人生を豊かにしなくてはならない。
これは山笠そのものも同じで、山笠に出る方の人生を豊かにできなくてはならない。そう思っている。

幸運にも授業を始めた2年後、子ども山笠が制作された。制作に関わった主要人物はまだ少し言いたいことがあるようだが、私は彼の10歳も年下なので知らんふりをし活用させていただいている。
そもそも、山笠は誰がどうしようと山笠のもの。あるものをプラスに働かせる、ただそれだけだ。

子ども山笠のお陰で、実際に舁く(担ぐ)ことも授業に盛り込まれた。幸い先生たちの意欲も高く、文化祭にてとても力強いものとして表現された。

授業のボリューム感(要は負担感)や、担当する先生によって、多少の浮き沈みはありつつも、2024年現在も続いている。

今年度の小学生の参加者は、150名になった。
子ども会も衰退し、PTAも下火になってきている中で、
保護者としては得体も知れない地域のお祭から募集があり、
150名も参加。驚異的なことだ。

これは、みんな山笠を知っているという下地を作ってきた、ということもあるが、
地域コーディネーターの存在も強く機能している。

学校と我々との間に立ち、学校と我々ではスムーズにできないことを、
双方に気を使わせることなくスッと実行してくれる。
運用初期こそくすぶっていたポジションだが、
非凡な才能を持つ方が役不足にも関わらず引き受けてくださったことで、様々な部分で物事がいい方向へ動き始めた。
我々はいつか彼女のためのお祭りを催さなくてはならない。

話を戻す。
小学生の参加者は150名。小学生の10%以上である。

山笠は、彼らにとってどのようなものでなくてならないだろうか。
彼らの人生をいかにして豊かにできるだろうか。

やはりここでも、彼らが山笠の担い手になることを望んではならない。

やはり第一に、山笠に参加することを選んでくれた子どもたちの人生を豊かにすることを考えなくてならない。

山笠にはみんなが元気であることを願うというベースがあり、共同作業すること、息を合わせること、話し合うこと、どんなに頑張っても上手くいかないことがあって、次につながっていくこと、などが起こっている。

これらはおそらく重要なことなんだろう。わからないが300年続いているから。

また、狙いつつも欲張りなところであるが、
「地域が大切にしていること」に片足突っ込んで関わること、またそこにいる大人と関わること、そして、物事を大切にする方法を、感じ取ってくれるとなおよい。

子どもたちは、いずれ津屋崎を離れる。これがほとんどであるし、これを悪いこととしてはいけない。選ぶのは彼らだ。

しかし、彼らが移り住んだどこかで、
そこで大切にされていることを感じ取り大切にしたり、人との関わりを大切にする所作を身に付けたりしていれば、きっと彼らの人生は豊かになっていく。
そして、彼らが移り住んだどこかも豊かになっていくはずだ。

こんなことが起これば、彼らが山笠に出ていなくとも、山笠の誇りの一つと言ってよいのではないだろうか。

精神性を研ぎ澄ますと同時に、バカのようにも聞こえる想いを心の底から発していけば、人の心を動かすことができる。

結果的に「山笠をやらずにはいられない」というものになっていくはずだ。

とはいえ、わからない。結局誰もついてこないかもしれない。

最終的には、
これだけやってそうなるんだったら、続ける価値がないってことだよね、と言えるほどのことを、精一杯打ち続けていくことが重要だ、と私は思っている。

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