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止まない雨はない

仕事が終わり、珍しく歩いて帰宅。
予報通りの雨。
しかも、なかなかの勢いで降っている。
傘は持ってきているものの、あまり意味のないようだ。

「雨か…」

雨の日はこんな感じの何とも言えない感情になる。
娘たちを見ていると、自分も小さい頃は雨の日は雨の日で楽しんでいた気がする。
いつからか
〝雨〟=〝憂鬱〟
と感じるようになったのだろう。

子供の頃も流石に、雨でお出かけや行事ができなくなったり、ずぶ濡れになったりしたらいい感じはしなかった。
こういったことを繰り返しているうちに
〝雨〟=〝憂鬱〟
という風に感じるようになってきたのだろうか。

そんなことを考えていると、職場から家の中間地点ぐらいまで歩いてきた。
水溜りにハマってしまい靴下まで濡れている。
濡れた足を気にしていると、過去の記憶が蘇ってきた。
そういえば成長してからも雨を楽しんでいた時期があった。
それはだった。

2008年の夏、タイから始まった世界一周の旅。
運よく旅が始まってしばらくは晴天に恵まれた。
2カ国目のラオスに入ってからも、心地よい日差しの中を歩く毎日。

そんな時、突然スコールが降ってきた。
慌てて近くの市場の軒先に入る。
周りの人たちも一目散に屋根の下に集まってくる。
ほとんどの人たちが、空を見ながらおしゃべりをしている。

小降りになったら宿の方向に行こうかな。

そんなことを考えていると、どこかから視線を感じる。
辺りを見渡すと、お父さんに抱っこされた子がこちらを見ている。
子供ながらに自分の見慣れた人たちとは違う、外国人かということを察した様子。

ラオ語とタイ語は似ている。
タイ語を話せるわけではないのだが、最低限として挨拶ぐらいは覚えていた。
その流れでラオ語も何となく旅行会話ぐらいは話せる。

子供の熱い眼差しは継続中。
とりあえず挨拶だ。と思い
「コープチャイ」
そう言ってみた。
子供の視線は変わらないが、お父さんが挨拶を返してくれた。

お互いの知り得る英語を使い、少し会話をする。
雨を気にするこちらのことを察してくれたのか、
カタコトながら伝えてくれた言葉が

「心配するな、止まない雨はない」

心に響いた。

それまでの旅でも学んでいたこと。
どんなに考えてもなるようにしかならない
この考えと結びついた。

全てを受け入れ流れに身を任せる
そこから見える世界がある

雨だったからこそ、偶然出会えた人から大きな教えをもらえた。

せっかくだから。と撮らせてもらい画面を見せるとようやく笑ってくれた
(カメラを見せてたからその瞬間は撮れなかった…)

その後の旅でも、雨だからこその発見がたくさんあった。
雨宿り中の何気ない会話(言葉が通じるかは別として)や雨で予定を変えたから生まれた出会いもある。

雨でバスが目的地まで行けず
急遽泊まることになった町での出会い

当時はサンダルだったので、どんなに濡れようが宿について足を洗えば問題なし。
足が濡れる時は、その時しかない楽しみがある。

旅と雨の思い出について思い出しているうちに、目の前に家が見えてきた。
今回の雨の帰り道に新しい発見はなかった。
しかし、思い出から楽しい記憶を蘇らせることができた。
やはり、雨は私にとって憂鬱以外の楽しさを与えてくれるものなのかもしれない。

帰宅し、びしょ濡れの靴下とズボンを玄関で脱いで風呂場へ急ぐ。
それを見た娘が
「お父さん、風邪ひかないでね」
と声をかけてくれる。
娘たちも成長していくと、雨を嫌う時も増えてくるだろう。
いつかこの話をしても、聞くだけでは理解できないかもしれない。
でも、自分たち自身が雨のいい思い出ができたら、なんとなくわかってくれる時がくるだろう。

自分の考えに固執せず、受け入れることで見えてくる世界がある。

止まない雨はない

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