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2024.4.10

「引き込まれる文章」に憧れる。
凄い人達ばかり。皆さん何かしらの特にこだわりの強い経験、趣味、生き甲斐、生き様、その他諸々をベースに文章を書かれる。
「あー、この人みたいに何かを愛したい」と思って、自分史を振り返る。
多分、ダンス(に、付随する音楽やカルチャー)と、お笑いの2つに関してなら、熱量や質量のある文章を多少は書けるやも。…自惚れか。
とはいえ、登場人物がその場そのシーンに、1人登場するのか、3人以上登場するのかで、各人物に捧げることが出来る熱量や、血肉骨の質量は、その配分や割合が変わってきてしまう気がする。

多分俺の中で、一番難しいけれど一番書きたいシーンがあって、それは板の上に立つ独りの男と、その男の心の底の苦しみを「苦しみ」とは言わずに表現していく様や、産毛がブワァっと逆立ち、背中から噴き出る熱気と狂気を「熱気」や「狂気」と言わずに伝えてしまうシーンだと思っている。そんな文章を書き切ってみたい。現にそんな神がかった文章を書いてしまう人たちが沢山いる。オレもそうしたい。カッコイイ。

男は、内在する己と対話し、対峙する。
登場人物は一人と、独り。
そこを描くことが出来るかどうかが、俺の価値だ。

もっと集中しろ。周りの声や、音じゃなく。
勝負の瞬間の、あの踏み込む一番最初の、砂利が右足第一指の付け根裏をギャッと擦る、あの向こうぶちに行く感覚。あんな感覚をもっと増やして、鞘にしまっておくんだ。いざという時は、後腐れ無し、手加減無用で、出し惜しみもせずに、切れ味鋭くした刃みたいな表現で、生きてるって実感を味合わせる為に。
ゾーンに誘え。もっと静かに、呼吸の粒子を感じろ。

そうだ。


そこが入り口だ。
其処にこそ我、生きろ。
体の中ぜんぶぶち撒けろ、白線の内側で。

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