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【ショートショート】古本屋

古本屋で2冊古書を買った。

店主はいつも仏頂面で不機嫌そうだったから近所で見かける度に内心肝を冷やしていた。

でも、以前店先に浅田次郎の『天切り松 一』があったので、必ず休みの今日こそ古本屋に行き天切り松を買おうと決めていた。

天切り、天切り松、て、て、て...?

店頭にはもう欲しい本がなかった。
ならば店内に、と意を決して『引』とタグが付いた扉を引く。

がじゃ、と金属が噛み合う音が腕に伝わる。
鍵がかかっているのだ。

シャッターを開き店頭に本は並べているのに、店内には入れない。不思議な古本屋だ。
優しいのか優しくないのかわからない。

すると、ピカっと店内照明が光る。
どうやらこちらの意を汲んでくれたようだ。

すぐにカチャッと鍵が開き、店内に入ることが出来た。

歴史小説、歴史書、宗教学、東洋哲学、官能小説...

司馬遼太郎や池波正太郎、初期の宮部みゆき、初期の東野圭吾、コインロッカーベイビーズの頃の村上 龍...

浅田次郎の小説が一冊も無い。

仕方なく、夏の上方落語百選と三島由紀夫の葉隠入門を手に取りレジへ。

「700円」と一言云われ、いとも容易くひと夏のバカンスが終わりそうになる。

すかさず聞く。
「あのぅ、店頭にあった浅田次郎の天切り松ってもう売れたんですかね...」

アサジロー?と店主が滑舌悪く聞き返す。
「いやぁ、わかんないね。まあたまーに本好きな人がふらっと店先の本眺めたりするけど、最近じゃ珍しいよ紙の本わざわざ探して古本屋なんてのは。」

その件に関してはこの町の中で恐らく私が一番知ってるし、心を痛めている。ということはもちろん伏せて「ああ、そうなんですか...」と無味無臭の反応をする。

「お客さん、物書きか何かか?」

この店主なかなかの目利きかもしれないと一瞬感心してしまった。初見で物書きだと云われたのは初めてだ。

「なにかの吉見だ。うちの本ならいつでも持ってきなよ。どうせ売れないもん。カビ臭くなって可哀想だ」

いやそれならせめて

「空の本棚をください。僕が世界中から本を取り寄せ、買い付けます。誰かの夢の続きはこちらで綴ります」

もう本なんてきっと流行らないのに。

「酔狂ですね物書きという生き方は、そうですよね浅田先生」

店主は照れ臭そうに笑った。

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