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40代の転職活動は、”まさに人材育成そのもの”だった

1.プロローグ(物語のはじまり)

 40歳を過ぎた頃から、しばしば先の10年、20年後について、このまま成り行きで進んでいいのだろうかと思うことが増え出した。既に20代で転職を1度経験し、今の会社が自分にとって2社目であるため、これまでも断片的ではあるが都度そのような感情に至ることはあった。しかし、ここまで継続した時間、先々のことで頭を悩ませる日々は初めてである。

 20年間勤めた現在の会社では、順調に出世というキャリアアップを図り、それ相応の責任あるポジション(組織の長)に就いていた。年収も世間一般と比較すると優遇されているし、職場内の人間関係にも些細ないざこざはあるものの大きな問題はなく、現時点で取り立てて不満があるわけではない。

 また、30代前半で結婚し、子供が生まれ、そして、約7年前にはマイホームも手に入れた。はたから見ると、順風満帆で今転職する理由がわからないという反応が大半だろう。しかし、私は2021年、40代で仕事を変えた。しかも、全く異なる業界へ。

2.起動(まずは”とっかかり”としてやってみる)

 前述した“このままでいいのだろうか”という漠然とした思いは、以前から事あるごとに頭を巡らせていた。社内で周りも羨むような上位の役職になったものの、その次が見えづらくなっていたことと、今の組織を任されて10年以上が経過しマンネリがきていたこともあって、毎朝出社する前に立ち寄る喫茶店で日経新聞を読みながらこの先の職業人生について熟考していた。

 今から約1年前の2020年秋、ちょうどコロナの影響で在宅勤務が増えて仕事も落ち着いていた時、ビズリーチという転職サイトに登録した。今までの自分自身の経験・キャリアを一度整理したかったのと、転職するかどうかはさておき外の(求人・媒体)情報を知っておくことは有効だろうと思ったからだ。ビズリーチは自分の年齢(アラフォー)と待遇で一番お薦めの転職サイトという案内を見たので選んだが、それ以外にも、有名どころでリクルート・エージェント、マイナビ転職も使ってみた。

 自らの職務経歴と知識・スキルをいざ棚卸すると、20代、30代、40代と年を重ねるごとに筆が進まなくなっていくのに気づいた。若い頃は新しく、大胆で挑戦的なことへがむしゃらに取り組み、様々な教訓を獲得してきたのに、最近は無難で安定的な業務にしか携わらず、今の自分の能力値で確実に遂行できることが大半を占めている現実に、いざ書いてみると改めて痛感することとなった。

 ただし、この時はサイトにひとまず登録し終え、そこにある求人をなんとなく眺めているだけで、実際に次の職を探すという動きには至らなかった。よくよく考えると、今転職するのはリスクが高く、現職を当分は続けた方が良いという判断だった。

3.再起動(本格的に動き出した)

 2021年になり、3月(年度末)を間近に控え、新年度の方針を考える季節がやってきた。コロナ禍で2020年度はやや落ち込んだものの、何とか及第点のラインで踏みとどまり、上位者の考え方も理解したうえで次年度に巻き返しを図るための準備を着実にこなしていた。

 ところが、2021年度の目標・計画を策定しようにも思考が集中できない自分が存在している。“このままでいいのだろうか”という思いの方が優先し、自組織のビジョンや具体的な方策が導けない。

 今振り返ると、自分のやりたいことや好きなことと会社の方向性が一致していなかったのだろうと思う。だが、当時はそんなことに気づける余裕はなく、ただ時間だけが過ぎ、目前のタスクと先々の不安との間で格闘していた。

 その結果、4月上旬の締め切り時に発信した方針内容は散々なものだった。入社して、はじめて自社・自組織内での自らの立ち位置や役割、そして、展望を語ることに対して怖さを抱いた。自分らしくない自分、役職という仮面で覆われている自分、正当化された行動に縛られている自分がそこにいた。

 方針を発表した翌日、私は(用事があるわけでもなく)会社を休んだ。期待されている立場にもかかわらず、まともなことを話せない自分自身に嫌気がさし、かつ、それを見ていたメンバーにもどう映っているのか心配だったからだ。同時に、今まで感じたことがないような自然な行為で、以前登録していたビズリーチにも再度アクセスしていた。

 特別何か決意したわけではないが、自然と以前登録していた経歴書を更新し、アップされている求人情報を追いかけながら休みの1日間を過ごした。なかなか書ききれなかった40代前後~現在にいたるまでの箇所も比較的スムーズに言語化できたと記憶している。

 また、この時は、「このままではダメだ」「何かを変えないといけない」もっと正直に言うと「早くどこかへ逃げ出したい」というマイナス思考が働いていたと自負する。なぜなら、転職希望1社目に選んだ求人企業は同業他社で、かつ、今まで経験してきた職種であり、その後もおおよそ現職と近しい業種・業態の数社にエントリーしていたからだ。

 とにかく早く環境を変えたいという焦りと囚われから、その募集だと受かりやすいだろうという短絡的な考えで行動していたと思う。言い換えるとそれだけ、自己防衛に陥っていたのだろう。

 思い返せば、今の会社に入る前、プロパー入社した1社目の会社を辞める際はもっと酷かった。20代で独身だったこともあり、次の仕事を決める前に辞めていた。今とは思考の深さが全然違うが、シンプルに(今のまま続けることが)嫌になったという方向は似ている。

 ここで、40代になった自分に言い聞かせていたことが1つある。それは、自分には家族がいるため、次の行先が決まってから辞めるということである。今まで、経験したことがないので、これからどれだけ辛い時間が待っているのかわからないが、家族を養っていくために収入を閉ざさないということだけは守ろうと心に誓っていた。

4.ホップ!(自信とプライドの解凍)

 4月上旬から現職の業務(組織をマネジメントする立場でのタスク)をこなしつつ、裏でビズリーチを筆頭とした転職サイトを通じて次の仕事を探すという二兎追いが始まった。

 ここでラッキーだったのは、コロナ禍の影響を受けテレワークを自己裁量で予定に組み入れることができたのと、面接機会の大半がウェビナーを介したオンラインであったことだ。

 従来の出社かつ対面の面談形式が主流であったら、転職活動はどうなっていたのだろうかと今思うとぞっとする。まあ、その時はその時でなんとかやりくりしていたのだろうとも想像するが、時間が限られるポジションに身をおく自分としてはこの時期を選んで非常に効率的だったと考える。

 そんなこんなで、1社目にエントリーした同業他社の求人は、オンライン面接を無難にこなし、GW明けに最終面接の機会(副社長との対話)を得、自分なりに手応えを感じながら進めていた。しかし、結果はご縁がない(不採用)に終わった。

 今までの経験がダイレクトに生かせることから、最短の転職ルートと思い込んでいた道が途絶えてしまい、目の前が真っ白になったのを覚えている。実は、裏で転職活動をする生活は思いのほか苦しく感じていた。

 いち早く、この二兎追いの日々から脱したいと考え、1ヶ月ほど何かと我慢しながら勤めていたのだが、一番近道と考えていた選択肢が消えてしまい、また他のエントリー求人も軒並み断られ、早々に自信とプライドが打ち砕かれた。

 この頃は、現職を辞めずに転職活動を続けて本当によかったという安堵感と、やはり40代での転職は厳しいのだろうかという危機感を交差させながら目前の仕事に従事していたと思う。この時期、私は信頼がおける現職の先輩で既に40歳前に次のステージへ転職を成功させている人物に(数年ぶりに)連絡を入れた。

 そして、今の会社において先々のキャリアに悩んでいること、そして、転職を模索している旨を率直に伝えた。返ってきたメッセージはこうだった。「悩んでいるなら動いた方が良い。今の会社でくすぶったまま時間を過ごすくらいなら新しいことへチャレンジした方が後悔しない」。要するに1回きりの人生なんだから“そんな気持ちで日々を送ること自体がもったいない”ということだった。

 たしかにそうだ。このまま時間とともに年齢を積み重ねるほど、私の市場価値は下がっていくだろうし、チャンスも限られたものになってくる。動くなら今、という心意気が再点火し、この先も勇気をもって活動を続けられたように回想する。

 加えて、この時もう1つ印象的な言葉に出会ったことを記憶している。それは「何かを得ようと思ったら、何かを捨てなければいけない。そして、より大きいものを得ようとする場合、捨てるものもその分大きくなる」というフレーズである。当時の自分がおかれている境遇、もがいている状態を脱却するうえで、とても支えになったように感じる。

5.ステップ!!(自分の姿を客観視する)

 5月上旬に続々と通知が届いた同業他社の不採用から立ち直るきっかけはすぐに訪れた(といっても、私の中ではとても長く感じた期間ではあったが)。それはスカウトメールである。ビズリーチには企業側から転職活動者の職務経歴内容を見て声がけできる機能が備わっている。

 生まれてはじめて、スカウトが来た。しかも、2社。両方とも今とは業種・業態も全く異なるベンチャー企業からで、人選の意思が込められた連絡である。私は早速面接機会を設けて対話を試みた。

 これまでも自分のエントリーで何社か面接を受けていたが、スカウトを経ての場は全然違った。本当に自分の経験・能力が欲せられ、ぜひ一緒に仕事がしたいという相手方の思いがにじみ出る空間となり、自分自身の高揚感も半端ではない。

 そして、スカウトをもらった2社のうち、1社を絞り最終面接に臨むこととなった。しかし、結果はご縁がない(不採用)に終わった。向こうから声を掛けてきたにもかかわらずになぜ?と一瞬思ったが、やはりスカウトにも複数のライバルがおり、自分よりも高スペックでマッチング精度が良ければ当然そちらが優先となる。

 ただ、この時のショックはさほどなく、むしろ、「自分の職務経歴や獲得してきたスキルを外の人はこのように評価するんだ!」「外の企業には自分のここが強みとして映るんだ!」といった自らの可能性の広がりや新しい発見につながったというポジティブな受け止めができた。

 また、5~6月は時間の許す限り企業との面接に臨んでいたが、受ければ受けるほど、自分は何者なのかという漠然とした疑問、具体的に自分はどんな組織風土が好きで、どのような仕事スタイルを希求しているのか、そして、この先何がしたいのかという問いに、解像度をあげて答えることが少しずつできるようになってきた。

 この時点で、結果は伴っておらず、この先どうなるのかもわからないが、転職活動を通して外部と接触し対話すること自体、そのプロセスには意味があるという実感を得ていた。ゆえに、この頃も現職との二兎追いは時間的に相変わらず大変だったが、精神的には少し落ち着いて仕事をこなしていたように振り返る。

6.ジャンプ!!!(自己の確立)

 6月に入っても相変わらず転職に向けた面接は続けていたが、この時期から自らが選ぶ求人企業、ポジション、諸条件が明らかに変わっていった。同業他社よりもむしろ異業種、そして、ベンチャー気質な組織カルチャー、かつ、自分の客観的な強みが生かせる職務・ミッションという風に。

 そんな折、偶然にも自分の趣と共通項が多い企業を発見した。しかも、自宅からとても近いところに所在する。私はけっして都心に住んでいるわけではないため、そのことに強く縁を感じた。早速、お会いする機会を得て何度か対話し、場所も近いのでオンラインだけでなく実際に訪れてコミュニケーションを取った。

 1次面接から代表取締役と直接会話することができ、人間的にも相性が良く、双方とも話が非常に弾んだ。面接にもかかわらず先方の会議に参画しているような雰囲気や内容に至ることもあり、いつしか心の中では「ここしかない!」「ここで勝負したい!!」と思っていた。

 また、同じくエントリーしていた別の会社から「副業はいかがですか」というお誘いをはじめてもらうこともできた。副業は以前から知っていたが、そのようなことを言ってもらえるとは頭の中に全くなかったので、とても印象的な会話として記憶している。

 そんな経緯もあり、7月に入ると自分が職業人生で大事にしているものや、いったい自分は何を求めているのかが、さらに研ぎ澄まされていったように思う。

 面接する度に、投げかけられる質問とそれに対する自らの応答を通して、今まで積み上げてきたものが一つひとつ引き算されるとともに、最終的に残ったものが鮮明になってきた。

 私は、『自分で考え、その見解を誰かと共有・交換しつつ、最終的に自身で決めたことを遂行する、そして、その遂行過程から学びを得る。この自律的なトライ&エラーの工程を繰り返すことで成長していく』。これが最も自分らしく、さらにやりがいをもって過ごす日常につながることを自覚した。

7.フィニッシュ(決断は感情で)

 7月中頃、前述の所在地が私の住んでいる場所と近い会社から内定をもらった。また、同じタイミングで副業の打診をいただいた企業からも、「時間は自由裁量で一緒にどうですか」というありがたい連絡があった。

 副業の方はその後、何回か打ち合わせを重ねた結果、早期にということではなく、先方内の組織体制が整備・完了し改めてタイミングが来たらジョインさせていただく旨の内諾を得ている。

 約4か月間の短い転職活動であったが、無事に次のステージが決まった(現職を辞めずに活動してよかった)という安心感に加え、自らのことを自問自答してきた日々のプロセスがとても感慨深い。

 人生にタラレバは無いが、たとえ、今の会社に残留するという決断を下したとしても、転職活動を経て“自分は何者か”を突き詰めて考える毎日は、40代だからこそ濃密で意味がある取り組みであったように振り返る。

 現職の会社へ退職の意向を伝えた際、大半の関係者から驚きと(なんで?という)理由を聞かれたが、私の回答はこうだった。

 『40歳を過ぎたあたりから漠然と次の道を模索していた。10年、20年という時間軸で考えた時、本当にこのままでいいのかと。そして、実際に転職活動へ踏み出すと、危機感・焦り・可能性・希望等の様々な思いが錯綜し、最後は“自分の人生一回きり”という当たり前過ぎる前提に立ち返り決断した。良し悪し・損得・リスクの有無で判断している限りは結論が導けず、最終的には自分の好きや楽しみ、自分らしさといった感情的な軸をもって決断するに至った』。

 なお、参考までに転職活動4ヶ月間、エントリーした総求人企業数は85社(約8割はビズリーチ経由)、そのうち面談機会が得られたのはスカウトを含めて21社、さらに内定を得た企業は2社(1つは副業)であった。

 40代でこの数字は世間一般から見るとどのような水準なのかわからない。ただ、一皮剥ける経験として、アラフォーでの転職活動は世の中に数多ある研修プログラムを受けるよりも、効果的で実践的なものだと自負する。

8.スピンオフ(人との関わり)

 余談になるが、家族(特に嫁)の支援も大きかった。特に、『しんどかったら(つらかったら)次の就職先が決まる前に辞めてもいいよ』という語り掛けは心に刺さった。

 この期間で何かを得なければならない、成功させなければいけないと心を奮い立たせると同時に、仕事を辞めて収入が途絶えることはあってはならないと強く誓ったように思う。

 その後も、まめに転職活動の状況を共有していたが、そこまで踏み込んで聞いてくることはなく、自然体かつ適度な距離を保ちながら会話してくれる日々はとてもありがたかった。

 また、辞めることを会社へ報告した後、上司・先輩、同僚、後輩・部下、さらに外部の関係者から、温かい言葉をかけてもらい、感謝・激励を頂けたことにもたいへん感動した。

 今まで、自分自身は相手のことをそんな風に思っていなかったのに、相手とそこまで深く関わっていなかったのに、真摯なお礼や熱い応援をもらった際は、改めて自らの不甲斐なさや至らなさを深く内省することにつながった。

 加えて、これまで嫌な思いをさせられたと認識している(要するに嫌いな)人物や自らのマネジメントの至らなさで迷惑をかけ辞めていった元メンバーへも、自分を成長・変革させてくれた感謝の気持ちを伝えたいと切に願った。

 既に過ぎ去った出来事は変えられないが、未来に何を思い、日々をどう生きるかで過去がもつ意味合いは変えることができる。今まで人間関係には億劫なところがあり、どちらかというと冷めた、クールな付き合いが大半であったが、人の見方や関わり方を自分から変えていきたいと本気で考えた。

 その結果、こちらから辞めた後も繋がりをもちたいという本音を素直に表現し、お世話になった方々へ私の方から連絡先を公開し、無事に挨拶を交わすことができた。今まで目にしてこなかった自分の姿に驚きつつ、これも転職活動がもたらす1つの成長の証なのだろうと実感する。

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