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【勝手に人生相談 No.223】声かけ控えたら縁切れた?(神奈川県・40代女性)

▼ご相談内容▼

10年前から夫の仕事で海外に駐在しています。

日本にいる時は趣味や子育てに充実した日々で、友人たちは盛大に送別会をしてくれました。

帰国の際には再会を喜び合っていましたが、コ□ナ禍ではSNSで報告するものの、声かけるのを遠慮していました。

すると連絡すらなくなってしまいました。

さみしいのですが、縁が切れたと諦めるべきでしょうか。
(神奈川県・40代女性)

▼やまのぼ回答▼

 好むと好まざるとにかかわらず、人間は人と人の間で、生きていく「宿命」を、生まれつき持っています。気づいたとき、すでに、その宿命の呪縛から逃れることはできません。

 たった一人で、生まれてきて、たった一人で死んでいく、宿命から逃げることはできないのです。考えてみれば、とても寂しいことですが、宿命とはそういうものです。

 その宿命としばしば混同されるのに、「運命」があります。

 宿命は生まれる前から決まっているものなので、変えることのできないモノです。ところが、運命も人間の意志によって、良し悪しを左右することはできないのですが、巡り合わせに起因するモノなので、日頃の行いや選択の積み重ねによって、結果として変わっていくのです。

 ところで、「去る者は日々に疎し」という諺かあります。

 これは、どんなに親しかった者同士でも、遠く離れてしまうと、しだいに親しみが薄れるということ。まさに運命の成せる業と考えられます。

 ご相談者が、良きに思って声かけを遠慮する選択をし、疎遠という運命を引き起こしたのでしょう。

 でも、よくよく考えてみれば、当人同士に本当の「縁」があるならば、コ□ナ禍であろうが、どんな厳しい状況下でも、疎遠にはならないと思います。

 だから、何もさみしがることはないのです。

 もともと「縁」がなかっただけです。それは、宿命だったのだと割り切ればいい間柄だったのでしょう。

 

▼次回のご相談予告▼

次回の【勝手に人生相談 No.224】は、栃木県・40代女性のご相談です。「成績不振でも 娘よ楽しく」を、予定しております。



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