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島口大樹『遠い指先が触れて』読書メモ

島口大樹さんの作品は、デビュー作・群像新人文学賞受賞作の『鳥が僕らは祈り、』、そして第166回芥川龍之介賞候補作の『オン・ザ・プラネット』と読んで、今回の『遠い指先が触れて』で三作品目。

※読書メモのためネタバレもあります。

装丁の写真

島口大樹さんの作品は『鳥が僕らは祈り、』『オン・ザ・プラネット』そして今回の『遠い指先が触れて』も写真。

いずれも写真家・馬込将充さん撮影。馬込将充さんのtwitterを拝見したのですが、いい写真ですよね。写真の装丁てありそうでそこまで多くないような気がします。写真を装丁にするのってけっこう難しいんじゃないかと勝手に思っています。

でも、ものすごい絶妙なバランス感覚というか、収まりきりそうでどこかゆらゆら不安定な感じがして、作品にいつもぴったりあっているんですよね。

記憶と意識の描写

忘れていた出来事や事実が、意識が認知できる域に滲んできて、更にこちらに手繰り寄せようとするけれど、それは恣意的にどうこうできるものではなく、僕が経験しているはずの記憶は僕とは違う原理で、原理すらなく、脳を世界を漂い、そしてふと僕を掠める。

島口大樹『遠い指先が触れて』より/群像2022年6月号 p.211

私たちの「個」と思っている意識というものは、何か大きなひとつの現象のほんの一部分にすぎない。そう思わせるような描写。記憶も意識も、自分でどうこうできるものと考えることはおこがましい、とさえ言われてしまいそうな気がしてしまう。

デビュー作の『鳥が僕らは祈り、』を読んだときには、私がまだ、小説や物語というものを読める幅がすごく狭かった。それでも、すごい作品、言葉で言い尽くせないぐらい完璧に近いすごい作品、と思えたのは確かだったけれど、何がすごいのかよくわからなかった。

よろよろ文章に身をゆだねるかたちでついて行くのが精いっぱいで、なんだか意識がぶんぶん振り回されるような気持ちになりながら、漸く読み切ったというかんじだった。ただ、視点がゆらゆらと移ろい広がり狭まりしていくようすは、意識や記憶というものが誰か一人のものではなく、みんなで共有しているもののような、そんな感触だけ残りました。

混ざり合う意識

意識ーー心の声の描写として非常に特徴的なのは、視点がころころ切り替わる、というかほとんど混ざっていること。

途中、読み進めていると「あれ?」と思う。最初は「あれ?気のせいかな」という気持ちで、ちょっと見過ごしてしまうかもしれない。でも、もう一回「あれ?やっぱりそうだ」と言って、数ページ戻って確認する。

ふつうだったら、常に語りの視点はある程度固定されて話が進んでいくはずなのに、片方の主人公からもう片方の主人公へと、一文隔てて、ないしは一文の中で視点が切り替わってしまう。でも、くるっと切り替わった感じはしなくて、なんだか意識がゆらゆらっと不安定に揺らいだように。どちらかの台詞を跨いだところで、気づいたら主語(視点)が違う。あるいは、文の初めは「私は…」と始まったはずなのに、なぜか「僕は…」で終わっている。

たしか、『鳥が僕らは祈り、』のときにもそんな感覚があった。なんだか、誰が考えていることなのか、誰が話していることなのかがよくわからないなと思ったのだ。『鳥が僕らは祈り、』を読んだときには、きっと私が読み慣れていないせいで少し読みづらいような気がしてしまった。今回の作品では、混ざりはするけれどあくまでも「僕」視点と「私」視点なので、あえてやっているんだというのがわかりやすかったのかも。

意識が混ざり合うときの「あ、いま混ざった」という感覚や、混ざっていることによる効果、混濁することで可能になる表現とか、全部ぜんぶ楽しむことができたんじゃないかと思います。

美しい表現、美しい……

技巧的な、挑戦的な作品であると同時に、感覚の表現の美しさったらないです。

(中略)その最後の一音が、光の束を集めて世界を丸ごと映し出している一滴の雫が僅かに鼓膜を揺する程度の音と共に水面下に潜り込んでいくかのような、そんな清澄さを伴って空気に溶けていくのを、胸の詰まる想いで聞いていた。

島口大樹『遠い指先が触れて』より/群像2022年6月号 p.238

恋やときめきを意識したときの感情を、こんなふうに表現するんだと思ってびっくりした。こんな表現の仕方があるんですね……と。こんな表現をされたら、読んでいる私は、主人公のときめきを受け容れるほかなくなってしまう。

というか、「ときめいた」と言ってしまったらそのことしか表現できないけれど、この一文はときめき以外、そこに発生したあらゆる感情や人物の反応を上手に丁寧に掬い取っている。作中でも、言葉をあてはめてしまうと陳腐化してしまう、みたいなことは言っているんだけど、それを見事に打ち砕いているのがすごい。

言葉ってこうやって使うんだなって呆然とした一文でした。

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