時代遅れの、アルバムを聴け。The Black Parade / My Chemical Romance
切り抜き文化に対抗したい。
映画もドラマもアニメも小説も、そして音楽が切り抜かれ、"そこだけ"良いみたいな消費のされ方が許せない。許されてはいけない。
だからこそ時代に逆行し、"あえて"アルバムという作品について、だらだらと書き連ねるシリーズ。
それが「時代遅れの、アルバムを聴け。」である。
The Black Parade / My Chemical Romance
記念すべき第1回は、"マイケミ"ことMy Chemical Romance(マイ・ケミカル・ロマンス)。つい先日、フェスのヘッドライナーとして来日し、バチイケのライブをした男達。(筆者も見に行った。バチイケだった。)
彼らが発表した4枚のアルバムには、それぞれ違ったコンセプトが設けられている。だから同じバンドでありながら、作品によってサウンドが違うのだ。そこがマイケミの魅力である。
今回は、その中でも「最高傑作」と呼ばれている3枚目。
「The Black Parade」を紹介する。
※あくまでもアルバムの「魅力」なので、概要やセールスの話は割愛する。
"アルバム"という構造
アルバムという構造が持つ、特有の技。
「曲と曲を"シームレス"に繋ぐ」
そうやって、曲同士に関係性を作ることで、作品に奥深さが生まれる。
ただ1曲聴くだけでは、感じられないカタルシス。2曲に分けることで、ハッキリと伝わるストーリー。だから、アルバムは良い。
この技を使っているのが、1曲名「The end.」から2曲目「Dead!」の間である。百解説は一聴にしかず。
(The End. から、つまり"終わり"から始まるのがセンス良すぎ。ご丁寧にピリオドまで付いてる。そして、死ぬ。ビックリマーク付きで。)
開幕から、この展開を魅せてくれる。100億点の大満足クオリティ。
臨死体験から学ぶ「生きる」
ここからは、作品のテーマの話。
作品を読み解く上で、筆者が重要にしているのは「現実の何を変換したのか?」である。
『フィクションなんだから、現実とは違う。』なんて言う、悲しげな意見を耳にすることが多いが、表現者からして見れば『現実を作り替えてフィクションにしました。』なのだ。
現実と違うわけが無い。現実に思うことがあるから、伝えたいメッセージがあるから、フィクションで表現している。ていうか、現実と無関係なフィクションを作るなんて、無理難題だよ。
「死ぬ直前に走馬灯を見て、生きたいと願った。」
ここでいう「死ぬ」を「生きる意味を見失う」に変換すると、作品のテーマが見えてくる。
「死」すら諦めた若者
主人公「The Patient」とは、「生きる意味を見失った若者」なのだ。『どうせ死ぬから、どうでもいい。』と、どこか絶望的な諦めを持つようなニヒリストというイメージが近い。
1-4曲目は、そのニヒリズムを表現している。
「The End.」「Dead!」は、本当に死んだというより、『終わった、詰んだ』といった、諦めの歌。
死んだっていうのに、誰も『良い奴だった。』って言わない。きっと、好きになってくれる人なんかいないんだ。
大人になっても、何もしたくない。
そう思って生きてきたんだから、自業自得だよな。
「自業自得なんだから、生死なんかどうでもいい。」とすら思ってしまうまで諦めた若者。そうやって精神的に死んで「This is How I Disappear」自暴自棄に生きる「The Sharpest Lives」悪循環。
因みに、ここでいう若者は「I=僕」でも「You=君」でもない。
ブラックパレードへ
5曲目「Welcome to the Black Parade」へ。(名曲キタ━(゚∀゚)━!)
幼少期の思い出が走馬灯となって蘇る。それは、父親からの言葉。
『何かに敗れて、傷付いた人間を救えるか?』と。
しかし現実は違った。傷付いてるのは自分だった。
悪魔に負けてしまったのは、自分自身だったのだ。
だからこそだ。
自分が敗れたからこそ、誰かを救えるのではないか?
打ちのめされたからこそ、優しくなれる。
悪魔に負けたからこそ、支え合えるのだ。
皆が何かに打ち負けて、助けを求めているのなら、皆で助けあえばいいじゃないか。そうやって、乗り越えれば良いじゃないか。
そう気付いたとき、ブラックパレードはやってきた。
いや、自分こそがブラックパレードとなったのだ。
そうして、同じく傷付いた若者達を引き連れ、困難を乗り越えようと、共に歩んでいく。
「生きる意味を見失った若者」とは僕だけでも、君だけでもなかった。「We=僕達」だったのだ。
この物語は、誰かに救ってもらうものではない。
『僕達は仲間だから、皆で一緒に乗り越えようよ。』
そういうメッセージが込められた作品なのである。
走馬灯は続く
ブラックパレードの行進は続く。
傷付いた者たちが集まったからといって、決して強くなったわけではない。現実の何かが変わったわけではない。人生は依然クソだ。
だが、変わったところがひとつある。
そんなクソみたいな人生に、真正面から向き合っている点だ。
ニヒリストはこう言うだろう。
『困難を乗り越えたって、次の困難が待っているだけ。乗り越えた結果、何か良いことがある保証も無い。だったら、真面目に向き合う必要は無い。結局、人生に意味なんか無いじゃないか。』
そう、確かにそうだ。人生に意味なんか無い。
だから、何だ。
そうやって、斜に構えている方が無意味ではないか?
だったら、真正面から向き合っても良いんじゃないか?
先にある結果に意味は無くとも、乗り越えようとする過程を楽しみ、仲間達と嬉しさを共有することは可能だ。
そっちの方が、単純に良くないか?
きっと、それこそが「人生の意味」なのだろう。
走馬灯を歩き抜いたパレードは、最後に決意を固める。
Famous Last Words
『僕達は歩み続ける。たとえ独りになろうとも、もう生きることを恐れはしない。』
「Famous Last Words」を直訳すれば「有名な遺言」という意味。これを逆手に取り、「それっぽいこと」みたいな使い方をする。
『また、"それっぽいこと"言ってるよ。どうせ口だけでしょ。』という皮肉な使い方だ。
この曲は、三重構造になっている。
素直に受け取れば、『僕達は生きることを恐れない。』というポジティブなメッセージになり、その楽観さに対して『Famous last words』『どうせ無理でしょ。』という皮肉な、ブラックパレード以前の主人公のような視点がある。
そして、そのスカした皮肉に対し、『また言ってるわ。』と、逆に皮肉を返す視点。
「The Black Parade」は、この3つ目の視点に成長する物語と言える。
人は小さい頃、純粋で素直だったが、成長すればするほど、汚い世界を知り絶望していく。これは現代社会では避けられないステップだ。そんな悲観的な現実を直視したくないから、大人は皮肉な視点を持つようになる。
しかしだ。果たして、何事に対しても嘲笑するような人生が楽しいだろうか?
筆者はそう思わない。絶対に楽しくない。
人生は、ある程度バカでいた方が楽しいに決まっている。そして、どれだけ皮肉を言おうが、世界が変わるわけないのだから、真正面から立ち向かって「乗り越えれたらラッキー!」ぐらいに思ってた方がいい。
それが3つ目の視点であり、「The Black Parade」の正体だ。
総括
如何だっただろうか?
ここまでの超大作を、"たった30秒"で切り取れると思うか?メッセージを受け取れると思うか?
否、できるはずがない。アルバムを聴く理由は、ここにある。
聴いてみたくなったのでは?
是非、どこかで時間を作って、約50分たっぷりを堪能して見てほしい。
因みに「The Black Parade」の解説で、ここまでの解像度を誇っているのは、後にも先にも、当サイトだけであろう。
では、また。
あとがき-Blood-
このアルバムには、「Blood」という隠しトラック(サブスクだと隠れてない)がある。
この曲は「めっちゃ時間かけて頑張ったんだから、いっぱい聴いてな!」というバンドからのメッセージ。
そして、僕からも。
めっちゃ時間かけたし、めっちゃ長い文になったから、♡押してな!
それにしても、めっちゃ長いやん。書き出した当初は、こんな長編になるとは思わず。
ブラパレに対して、この造形の深さで聴いてるやつ、世界で僕だけだろ。なんか、変な自信付いた、わ。
なんでもかんでも無料で見れると思うなよ!!! サポートしてください!!!