さらばアカデミア

私は研究職を断念し、一般企業(非研究職)に就職を決めた、博士課程4年目である。筆頭論文ゼロでオーバードクターしてしまった。
勿論、進学を決めた当初はこんな予定ではなかった。もりもり業績を挙げ、3年でサクッと学位を取って、ゴリゴリのアカデミックポストを目指すつもりだった。1年目には調子に乗って自分用のピペットマンを買い揃えていた。が、私は来年、自前のピペットマンを持った28歳新卒社員になってしまう。

博士進学したのは純粋に、ただ研究が面白かったからだ。研究は面白いが金銭面に余裕はなかったので修士で就職するつもりだったが、ちょうどその頃に学会発表で受賞したりしてちょっと気が大きくなっており、ボスに「プロジェクト手伝ってくれたらバイト代出すから進学しない?」と声をかけていただいたことをきっかけに、喜んで進学した。
こんなシンプルな理由で進学を決めたため、研究者として大成するビジョンは見えていなかったし、覚悟も足りなかった。私の研究は割とチャレンジングなテーマだった。しかもボスの分野外だった。つまり、論文が滅茶苦茶書きづらい。開始地点からすでに破滅の道に進んでいたことに気づかなかった。
実際進学してみたら、学振DCは毎年落ちるし(笑)、思っていたものと違っていた。見通しが甘すぎたのだ。
D1~2の2年間、私は自分の研究にほとんど着手できず、テーマ外のプロジェクト研究と後輩の研究にほとんどの時間と気力を割いてしまった。毎日8時半から20時頃まで毎日研究室に詰めていたのに、どうして私は私の研究にほとんど手が付かなかったのだろうか。ひとえに自分の能力不足だと思う。
3年目になり、やっとプロジェクトが終了したので、自分の実験をしようと思ったらコロナで大学がロックダウンされてしまった。こっそり大学に忍び込んだら誰が見ていたのかお叱りメールが飛んで来た。
大学に行かないと実験も出来ないし、ボスと話し合えないので論文の執筆も進まない。自宅で自力で執筆を進めればよかったのに、頭が真っ白になって何一つ進めず、自宅でただ茫然としていた。
今思うと、あの頃はコロナでパニックというか、軽くうつっぽくなっていたんだと思う。研究職を諦めきれていなかったので就活もせず、かといって業績が無いのでPDなんか出せるわけもなく、人生の見通しが何もつかず、ただ絶望している無意味な時間だけがゆっくりと流れていった。一人の部屋で、「だめだ~~論文が出せないと死ぬのに書けない~~人生おわった~~」とのたうち回っていた。

それまでは、Twitterで自然科学好きの人や研究者や学生をフォローしていて、皆さんの生物採集のツイートや科学のニュースを見て楽しんでいたのだが、もう何もかも嫌になって、好きだったはずのそのタイムラインを見ることが苦痛になり、Twitterを開くことすら億劫になった。
好きなものの存在が苦痛になってしまったことは、私の身に起きた最大の悲劇だった。死ぬ勇気もなかったので死ななかったけれど、人間としては死んでいるも同然だった。私の無気力はかなり長く続いた。

そうこうしているうちに学期が変わり、いよいよ修了出来ないことが決まった。これが決まって、私はようやく夢を諦めた。劣等感に苛まれ、酒におぼれながら、「研究おもしろい」だけでは何も生み出さないことを思い知り、なんとかこれを受け入れた。否、全然受け入れ切れていなかったため、しばらくは荒れに荒れた。
12月頃にやっとのことで「仕方ない、就職するか」という気持ちになった。ただ、夢を諦めてみじめな気持ちで就活を始めたため、就職エージェントとの電話面談で、涙ぐみながら「専攻は関係なくて全然いいので、お給料が良いところを紹介してください。奨学金を返さなきゃいけないので…」などとのたまっていた。「大学を出たら人生終わり、後は余生」と思いながら就活をした。

しかし、意外にも就活は私の精神衛生を大いに向上させた。エントリーを適当に出してみて、落ちて、対策して、様々な業界を調べているうちに、この先にも人生が続いて行くことに気づき、生きていく希望のようなものが芽生えた。初めは、興味のないところも分野外も何でもかんでも適当にエントリーして行ったが、段々「やりたいこと」が見つかり、分野を絞るようになった。
最終的に3社から内定をもらい、一番自分の興味に沿った仕事が出来そうな1社に承諾書を出した。

おかげで今、私はここ3年間のうちで一番穏やかな気持ちでいる。
「来年から路頭に迷わずに済み、なんか面白そうな仕事が出来るかも」という安心だけでこんなに精神的に落ち着くのだ。

今でもアカデミアに未練はあるし、就職後も、もしお声が掛かったら研究機関に戻りたい、というような捨てきれぬ微かな希望もある。でも、アカデミア職に就いてもその殆どが任期付きで、常にニートの危険性を孕んでおり、一寸先は闇状態なことを知っている。
研究者になるには、超メンタルが強いか、実家が太いか、超優秀か、優秀じゃない場合は作業時間でこれを超越するか、あるいはこれの複合体(メンタルが強くて実家が太くて優秀で長時間作業が出来る人)である必要があるようだ。

私は、メンタルが弱く、実家は細く、無能寄りの凡人で、21時くらいには帰宅したいし土日も休みたい小物だったので、人と違う生き方を選ぶにはあまりにも弱すぎた。

博士進学した自分の選択を後悔したくはないが、していないというと嘘になる。嘘どころか、してる。めっちゃしてる。
それでも、修士で就職するよりずっと長い時間研究に携われたことは、とても幸せなことだと思っているし、素晴らしい日々だった。

まあ、これからは「自分、内定ありますんで」というメンタルで、心穏やかに論文が書ける。Accept or dieの世界観から抜け出せただけで最高の心地である。私はもう論文が出なくても死なないのだ。
本日、雨の中郵便局までひとっ走り、内定承諾書を出してきたので、記念にこのような日記を書いた。

さらばアカデミア、私はおまえが大好きだ。

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