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おみくじの健康運は誰のせい?

今年のお正月、母が引いたおみくじの健康運を地で行く勢いで今年を過ごしている。母は何かある度に、おみくじが当たって気分悪い。引かなければよかったと嘆いている。なんせ私が引いたのが大吉なのでそのギャップも激しい。

おみくじをを引いたときは気をつけないとねぇ〜と軽い気持ちだったのもつかの間、3月に脇のあたりが痛いから始まり、いつもなら飲まない薬を飲んで全身に発疹が発症し、その後頭部のかゆみは長い間続き、いつもならあまり引かない風邪を何度も引き、昨日はスーパーで転んで自力で立ち上がれないほどだったと帰ってきてから聞いた。母は歩くときにあまり足があがらず、久しぶりに履いた靴が床に突っかかってしまったみたいで掴むところがなく倒れてしまったそうだ。今日会社から帰ってきたら、昨日よりも痛みが酷く1日中歩くのもままならず、ベッドから這ってリビングにある椅子に座ったりしていたと話していた。

ほんのすこし、一緒に住まなければこうはならなかったのかなと思ったりする。そうじゃないことは分かっていても、最初のピロリ菌による発疹も私が病院を強く勧めた結果起こってしまったことだし、風邪も私が外に出ているが故に1人で住んでいたときより感染率高いだろうし、今回の怪我は特に私に問題がある。

履いてた靴は1年ぐらい前に買ったもので、段々とキツさが辛くなってくるそうでしばらく履いていなかったのに、昨日靴の存在を思い出して、せっかく高い靴を買ったからもったいないから履こうと思ったそうで、それに家にもいたくなかったと話してた。一昨日口論になって、しばらくして会話はしたものの、昨日朝もあまり会話をせずに私は会社に行った。その矢先の出来事だからあまりにも私が原因だし、靴を変えたのも気分を変えたかったのかも知れない。

一緒に住み始めた当初、口論になるたびに自分自身を責めていた。私のほうが許容できるものはきっと大きいはずだし、一旦落ち着いて考えれば口論しないほうが遥かに心穏やかにお互い過ごせるんだから我慢すればいいのにとよく後悔したけれどあるとき、後悔は無意味な気がした。その後に起こる何かに不安を覚えるぐらいならば、私の行動によって起こる結果を受け止める覚悟をした方が良いのではないかと。

そしてそれが今。すべての原因が口論でないにしても身体が痛くて動けないの母の手助けをしたいしなんでもやってあげようと思うけれど、怪我をしたことによって私に迷惑をかけていると思ってしまう母の気持ちを受け止めるのは相当ハードルが高い。覚悟が簡単に折れた。それに、私の気分の変化も著しいので一緒に不健康(というか不健全)になるのだけは避けたい。

「注意深く自己管理しなくては重病になる」
おみくじに真面目に突っ込むのもどうかと思うけど、注意深く自己管理していても重病なるときはなるので気にしなくて良くない?と年始めに母に話しのだが、今読んでもやっぱりそう思う。ただ、高齢による不自由さ故に「注意深く」は大事なので、そのあたりをサポートしていきたい。

おみくじの健康運は誰のせい?の答えは、母と私。
諸々要因を作っているのは主に私ではあるけれど、おみくじを引かなければ、事あるごとにおみくじがぁああ!と母が思わなくてよかったので、引きに行った母と私のせい。なので来年は引かないし、口論の原因は母のある一定の言動に対して拒否反応スイッチが全開になってしまうことなのでそれを深堀りし、口論前に回避する術を習得したい。



最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。