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一緒に暮らしてわかった母のいろいろな事(高齢者とか母親とか人として)

去年の夏、76歳になる母と2人暮らし始めた。

19年振りに一緒に暮らすことに対して、それまで自由気ままに一人暮らしをしてきた私にとって誰かと暮らすということは自由の一部を奪われるような気がして、あれこれダメといわれることに極度の拒否反応を示すから、口論になって喧嘩に発展してしまうことがとても怖かった。

暮らし始めた当初は予想通り、ちょっと遅く帰るだけで(22時)ものすごく怒られた。心配するのも分かるけどもう40なんだけど!と反発していたけれども、あるとき怒りの感情を高ぶらせることは高齢である母の身体に良くないのではと思うようになってから、私が遅く帰ってきても母が怒らない・心配しないで平穏な気持ちで過ごせるかを考えるようになった。

・20時半ぐらいに一度電話する。
・21時半ぐらいに連絡がなかったら電話してもらう
・帰ってる途中にメールする

近況を報告したり、母に協力してもらうことで徐々に遅く帰ってきても何も言われなくなり、また自分自身の変化もあってよっぽどのことがない限り22時半過ぎることはなくなった。

一緒に住み始める前、「0時過ぎることだってたまにあるのは仕方ない事だからそれは許して欲しい」と母に伝えていたけど、自分自身がそんな時間まででかけたいと自然に思わなくなっていた。

きっかけは「高齢」を意識するようになったこと。

「母親」という存在の前に「高齢」であるということに目を向けたら、帰宅時間のことだけでなく、それまで気になっていた母の行動に対して目くじらを立てることがなくなった。

例えば、スーパーや電車のホームで並んでいるとき、母は前に並んでいる人との距離がやたら近い。スーパーだとカートが前の人に当たりそうなぐらいに近い。早くお会計に進みたいという気持ちの現われなんだろうか。一緒に住み始める前から気になっていて、その度に近いから〜!と言って軽く後ろにひっぱったり、電車のホームでは電車が来るとさらに近くなって我先に乗り込もうとしたり、座るときにどしーーんと座ったりするから、そのときも後ろに軽くひっぱったり、ゆっくり座りなよと言ったりしていた。それらの行動は私にとって母の独りよがりの行動に映り、周りの人に迷惑になるから止めて欲しかった。

でも、一緒に暮らし始めて母と長く接するようになったら、そういった独りよがりに見えてた母の行動というのは、高齢になったことで考える・できる範囲というものが狭くなり、もちろんすべてそうではなく、日々の生活の一部に限っては自分のことだけを考えるのに精一杯になって周りが見えなくなってしまうのではないかと思うようになった。

それと同時に、私が止めて欲しかったと思っていたのは母が周りに迷惑な行動を取ることへ恥ずかしさだけだったことにも気がついた。母親としてちゃんとして欲しいという気持ちだけだった。

思い返してみれば母が周りの人に対して大きく迷惑をかけることなんて見たことがない。にも関わらず母の小さな行動にヤキモキしていたのは、一緒に過ごしている時間が圧倒的に異なることだった。

一緒に暮らし始め、家のことをきちんとやってくれる姿、高齢の方にとても親切にしている姿、食事に行けば料理を持って来てくれるとき、お会計のときには必ず店員さんにお礼を言う(これは一緒に住む前から知ってた)姿など、一緒に暮らし始めて丁寧な部分を多く見る機会ができた。

それまで、自分が見ている母の範囲がとても狭かったことで、嫌なところばかりが目が行ってしまっていたことや、思っていた以上に高齢であることの大変さを私は知らなかった。電車で10分間立っているのは膝に負担がかかり、その後歩いたりしているとすぐに疲れてしまうから、座りたくて早く電車に乗ろうとしてしまうのも今では分かる。

母の行動を変えようとするのではなく、気づいた私が動けばいいだけと思い、スーパーで並んでいると相変わらず前の人と距離が近いから、前の人と母の間に私が入ったり、電車の列では笑いならが近すぎって言ったり、どしーんと座るのは膝が痛くて仕方ないみたいだから座るときに私が腕を差し出してそこに手をかけて座ってもらうようにしている。(とはいえ、前の人と距離が近いのは年齢だけじゃないよなぁと通勤中に思う今日この頃)

ただ一つだけ本当にやめて欲しいことがあるのだが、それは絶対にやめてくれない。それは椅子に乗って高いところに手を伸ばしてなにかすること。

一緒に住む前に椅子から落ちて肋骨にヒビが入ったり、今の家は物干し竿が高く、布団を干そうとしたらバランスを崩して2度ほど庭の土の上に倒れたことがあるらしく(私がいないとき)もう絶対にやめてくれと伝えているんだけど一向にやめてくれない。

話を聞くと、置いておくとダメだからすぐやらないと、すぐに片付けたかった、と毎回言うから(聞いても今すぐじゃなくても良いことばかり)、やりたいと思ったことは今すぐやらないと絶対に気がすまない性格なんだと分かったら、「あ〜、私とおんなじだ」と気がついた。自分の性格がこの人から来ていることを初めて知った瞬間。

無理強いすると更に拒否反応が出るからもう言うのをやめて、落ちたときに周りに大怪我しそうなものを置かないようにしたり、今後はやらなければいけない用事を極力なくすことを考えたい。

そんな風に母に合わせて暮らしていくことが今では当たり前になり自然とできるようなり、家では私が苦手な洗濯など母がなんでもしてくれるから母も私に合わせて暮らしている。

暮らし始めたきっかけは兄の死だった。
その事が要因となり一人で暮らしている母に何かあってはと考え一緒に住むことを決めたけれども、暮らし始める前は相当ストレスが溜まるのではないかと思っていたのに今では考えてもなかったぐらいに楽しい。楽しい理由は多すぎて別の機会に。

逆に母は、一人で気楽に暮らしていたかったと言っている。一人ならば気楽に食事を作ったり作らなかったりできたのに、今では私がいるからお弁当も食事もキチンと作らなきゃいけないから大変だと言っている。手を抜いていいと話してはいるけど、一生懸命に働いている私にちゃんとしたものを食べさせてあげたいらしい。(大変うれしい言葉ではあるが、量が多すぎてこの1年でどれだけ太ったか…)

手を抜けないのは母の性格だから仕方ないと思い、ご飯を作らなくていいように外で食べる日をたまに作ったりしている。外で食べてくると話すとやたら声がにこやかになる。(そんなに大変なんだねぇ…日々の食事)

また、心配性すぎて眠れなくなったりするのも嫌だと言っていた。日帰りで山登りしてくると話した日、夜中になっても母が起きているからどうしたのか話を聞いたら、ついさっき話した山登りのことで私に何かあったらと考えたら眠れなくなってしまったそうだ。

そっかぁ・・・。
そんなに心配されるとは思ってもいなくてとても慌てた。もう行くなんて言わないから大丈夫だよと伝えてしばらく話して眠りについた。きっと兄の死が原因なんだろう。たまに兄のことを話すけど母が私の前で泣くことは決してないんだけれども、こうしたところで母の悲しみが伝わってきて自分のやりたいことにもう少し慎重になろうと思った。

高齢者として母親として、一人の人として、いろいろな姿をこの1年で見てこれたことは、私にとって救いだった。兄の死に対しての悲しみに暮れる日々に留まらずにいられたことや、いつか母と一緒に暮らすことを考えたり介護という言葉がよぎったとき不安でしかなかったのに、こうやって楽しく過ごしている日々の思い出を持っていつか介護に入れることは良かったのではないかと思えるようになった。

母は、自分がいることで私に迷惑がかかっていると思っているみたいで、そんなことないと言い続けているけど、そう思えないのもなんとなく分かる気がするし、歳を重ねる度に身体が思うように動かなくなっていることに対して憤りがあるようだから、私ができることは「そんなことないから」とずっと言い続けることだったり、楽しく毎日を過ごすことだったり、外に連れ出して身体を動かしてもらうことだと思う。

たまに喧嘩をしてしまってその度に後悔するけれども、その度に気づきや学びを得て楽しく暮らしていきたいなと思う。


最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。