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「怒られる」を避けること。

人はいつから、誰かに怒られることを怖れるようになるのだろう。ふと自分の中に思い浮かんだのは、小さい頃から受けてきた両親からの教育である。大人になるまで不自由なく育ててくれたことには凄みを感じざるを得ないが、家の中でのコミュニケーションにはその権威を感じた。物心ついたときからそこには上下関係というか、どうしても主従関係のようなものがあって、彼らに逆らうと痛い目を見るような感覚が刷り込まれた。少なくとも当時、対等な関係性ではなかったと思う。

社会人となった今、社会というか自分の周りには「怒られないように」振る舞う大人がほとんどだと感じられる。実際に「〇〇さん(上司)に怒られるからやめよう」「怒られないようにしよう」という言葉を耳にする。しかしながら、その自分本位の判断や言動は、本質的ではないと思ってしまう。すなわち「〇〇さんに怒られないようにする」というよりも「□□をやると筋が通る」と個人的には考えたいと思う。

飲食店のキッチンでアルバイトをしていた大学時代、社員の方から「これはクレームになるから盛り付けやり直して」と指示された記憶がある。そのときから今まで、ずっとずっと違和感がある。疑問がある。「もう少しきれいに盛り付けて。そっちの方がお客さん心地いいと思うから」ではないだろうか、と。

物事に対する視点や解釈という、ただの考え方の話なのかもしれない。それでも、いやだからこそ、自分本位のあり方に違和感が残る。そしてそのルーツは、怒られることを怖れながら教育を受けていたあの頃にあるのではないかと思う。それも管理職も含めた今の社会人にも少なくないことから、決して小さくない影響力を帯びているだろう。思いやりのあり方、コミュニケーションの考え方、改めてみたいと思わされている。

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