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自由を定めること。

幼い頃、多くの人が塗り絵を経験したのではないだろうか。枠線だけが描かれた無色の、たとえばキャラクターを、クレヨンや色鉛筆で彩っていくコンテンツだ。“本物”のデザインを真似るのもよし、オリジナルの配色で塗っていくのもよし。そこには、ある程度範囲が定められた中での自由を表現できただろう。だからこそ、幼い子どもでも楽しめるものであったように思う。

これがもし、何も描かれていない真っ新な紙だったとしたら。絵を描くのが得意あるいは苦じゃない人ならば、その思いのままに線を引き色を塗ることができるかもしれない。しかし、絵のセンスが皆無に等しい僕ならば、困り果ててしまうだろう。何をどう描いたらいいのか、まったく分からない。それらしいアイデアもまったく浮かばない。他のことに取り組んではいけないのかと、得意のそもそも論を取り出すことだろう。

つまり、その人の「自由」を発揮するためには、ある程度の“枠”が必要なのではないか、ということである。逆に言うと、あまりに自由すぎると困ってしまうのが人間なのではないだろうか。ルールに“縛られる”だとか、それは“窮屈”だとか言いながらも、ある程度の枠が定められた中でこそ自由は生きるのではないかと。すなわち、誰かに自由を発揮してもらいたかったら、まさしく塗り絵の枠線のようなガイドというかアシストを示すことが重要なのだ。ついこの間、学生を相手に実施した体験学習を通じて感じたことである。

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