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いまを正直に。

たとえば誰かの言動が、目に余るときがある。社会人においてその態度はいかがなものかと、このままいけば本人が損をする未来が見えるぞと、そんなふうに思うことがあるとする。というかもう社会人のひとりとして、すでに疑問を抱くこともあると思う。

きっとこの世界に生きていれば誰しもが、そう思ったり思われたりすることだろう。正直にいえば最近の自分は、その両方の立場を経験している。ではそんな中で、もし誰かの言動に疑問を抱くような場合、改めて人はどんなことを考えるだろう。

まずひとつ「あなたが未来で損をしないように」「あなたのためを思って」という言葉を“盾”に、自らの意見を発するパターンをよく見かける。なんだか筋が通っているような体裁で、理解できなくもない。ちょっとした思いやりというか、愛も感じる。

ただ、実際の僕個人の選択肢にはない。もちろんその人にもよるのだろうが、基本的にそこまでの愛はない。そもそも自分が誰かを変えようだなんて考えはおこがましく感じ、そのままの言動でいつか損をしてみればいいとさえ思う。

しかしながら、そんな得体の知れない未来の話は控えめにしつつ、今のコミュニケーションに責任は持っていたいと思う。すなわち「おれには理解できない」「おかしいと思う」と、真正面から伝えるイメージ。むしろこれこそが愛なのではないかと、書きながらそんな気がしてきた。まだ実際に口頭で示すことはできていないけれども、自分なりのコミュニケーションとして、大切にこしらえておきたい選択肢である。

いつもいつもありがとうございます〜。