見出し画像

絶望をあきらめて。

もともと誰かや何かに期待しない性格だけれども、たとえば自分の価値観とまったく異なる世界を目の当たりにしたとき、なんだか虚しくなってしまう。いや、そもそも自分と違うことばかりであることは理解しているが、あまりにも違いすぎる環境、ましてや自分がこれから関わろうとする場所がそんな世界に見えたならば、途方に暮れてしまうだろう。

では、このいわゆる絶望を感じたとき、僕はどのような行動を起こすだろう。どう対処してきたのだろう。キーワードとなるのは、「あきらめ」かもしれない。絶望とまっすぐ向き合って、たとえばその場にいる他人に何かを働きかけるなどして、希望に変えようだなんてことは思わない。そんなことは不可能だと思っていて、そりゃあ不可能なことにエネルギーを費やすほど無駄なことはないだろう。

ただ、そのあきらめの先にあるものは、希望である。厳密にいえば「自分なりの希望」。絶望を感じた道はもう“通れない”として、僕は別のルートを探す旅に出るだろう。彼らとはまったく異なる信念を抱きながら、新しいやり方を模索する。あくまで前向きに、足取りは軽い。自分の信じる道を進むのだから、いわば当たり前なのかもしれない。

生きていれば誰だって、どうしようもない絶望に直面することだろう。きっと都会にいようが地方にいようが、子どもだろうが大人だろうが共通だ。その中で大切なのは、“次の一手”をどこにどのように打っていくか。絶望を嘆くこと、その世界を希望に変える努力をすること、もちろん僕はその選択も尊重したいと思う。けれども自分にとって健康であり、アイデンティティや誇りを感じられる選択肢を大事にしたい。僕は絶望をあきらめたその先で、自分なりの希望を探し続けていたいと思うのだ。

いつもいつもありがとうございます〜。