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私のなった病気とその後のこと〜アーユルヴェーダを学んでその考察〜

こんばんは!

今日は、私が29歳の時に切除した甲状腺乳頭がんのことについて書こうと思います。

今日のアーユルヴェーダのクラスを受けて、あまりの一致の多さに自分のなかでの原因と結果の法則がやっと納得できたところで、それを踏まえて完全に主観で書きます。

その時に治療にあたって下さったお医者さま方や、その時に周りに居てくれた人に対して異を唱えるものではないことを先に残します。

1.自分が覚えている病気の経過と、その考察

高校の健康診断で喉元が腫れていることを指摘される。
大きな病院に母と行き、甲状腺肥大という診断を受け、「チラージン」という薬を4、5年飲み続ける。(当時はお医者さんの言うことは全て正しいと思っており、他の選択肢は母も私も考えていませんでした。)


【考察】
第3段階プラサーラ カファの乱れ:腺の肥大
これを長期の服薬によってヴァータを高める行動に繋がっていく



大学卒業、就職を機に、薬を飲み続けることに疑問をもち、別の病院で甲状腺の検査を受け、数値を確認してもらったのち、チラージン服用をやめる

29歳の時、頸椎のストレートネックにより整形外科に行く。その時甲状腺の腫れを指摘され、「急に悪くなることもあるから、検査してみては?」と大学病院への紹介状をもらう

大学病院で検査。甲状腺乳頭がんと診断され、手術により左葉を切除。それ以外の治療は無し。
手術後チラージンの服用を勧められるも、その勧めた医師も「慣習として飲んでいる感じで、確実な効果があるわけではない」と仰ったので、飲まないことを選択

退院後からそれまで出ていなかったアトピーのようなものが全身に出る。


【考察】
もともと持っているピッタの質がヴァータによってあおられて出た?手術で大量に薬物が体に入ったことによるヴァータの乱れ?



痒みと、急に全身ただれた肌になったきとのショックから、心が暗く沈んで活力を無くす。2年ほどそのように暮らす。(タマス期)

癌がわかる前2年ほど、ほとんど休みなしの生活を2年ほど送っていました。このような過ごし方でラジャスが高まった後は反動でタマスになったのかも…と思います。



税理士志望ではなく、職場環境を変えたことや、その後結婚したことなどで心が安定して症状は良くなるが、一進一退を繰り返し今に至る。


2.甲状腺肥大を引き起こしたのは?

私は、高校に入ってから水泳部に入りました。強豪校で、インターハイで優勝者を出したりオリンピック選手も輩出している部活です。スイミングスクールに通ったことはあっても選手ほどに至っていなかったのにその部活を選んだのは、高校受験の失敗を取り返したいという心だったと思います。

強豪校だけあって、練習はとても厳しいものでした。月曜日はお休み。火曜から金曜日は授業に後に5㎞くらい泳ぎ、土日は10㎞ずつくらい泳ぐという本当にスパルタでした。

高校1年生の時の秋頃、急に微熱が下がらなくなり、原因は分かりませんでしたが結局その後退部しました。

おそらくその後の高校での健康診断で甲状腺肥大を指摘され、その後の経過は前述した通りです。

私は、プールに春から秋までほとんど毎日入ったことでカファが上がったのではないかと考えました。冷たい、湿っているという性質の増加が甲状腺肥大に繋がったのではないかと思います。

3.甲状腺がんになったときの環境

甲状腺がんを手術したのは29歳の時です。メーカーで経理として働いており、忙しくしていましたが、税理士も目指していたので、平日は仕事、土日は終日大学院という休み無しの日々でストレス・過労状態の3年目でした。はじめの2年通っていた大学院は評価制度が厳しく課題も多く、平日も仕事が終わってから課題に取り組み寝るのが2時3時ばかりで慢性的に睡眠不足でした。そのため会社の近くに引っ越し、寝る時間を少しでも長く確保したのですが、1人暮らしになったことで朝は和食からパン食になり、昼は会社で買うお弁当かコンビニ、夕食も母が作った献立から自分で作るパスタだけとか単品の食事ばかりでお腹を満たすためだけのような食事をしていました。

4.どうしてそうなったか

そろそろまとめます。
今日の授業と、ここしばらくのアーユルヴェーダの学びを経て、今までの不調や病気の原因は、自分との繋がりの遮断だと思います。
私は今まで、自分がどう思っているかよりも、他人にどう思われるかを優先して行動してきたことがとても多かったです。
自分で自分を評価できないので、何かからの評価を期待して行動することも多く、結果何かに自分を委ねてしまっていました。資格とか、金銭による評価を自分自信の評価と重ね合わせていたので、追い求めていたのだと思います。
それにより評価されないとまたストレスを感じたりしていました。持続可能な生活ではないのに、求める心に終わりがなかったです。

今日の授業まで、私にとってこれらの病気は過去の大きな転機ではあったけれど、理由は分からないし、今まで続く皮膚の不調のきっかけで、どちらかというと無かったらよかったことでした。

授業の最後に「病気は人生の一部です。〜中略〜自分についてより多くを学び、どのように人生を前進していけるかを再評価する素晴らしい機会です。」という言葉がテキストにあり、Sayakaさんから発せられたときに、自分が罹った病気に対して初めて優しい気持ちを持つことができました。

病気になったプロセスと原因に納得できたことは、迷子になっていた自分の一部が戻ってきた感覚です。
誰もがどんな過去も否定する必要は無く、今までの自分の人生を愛おしく思っていいんだと思います。

そんなことを思わせていただけた今日の授業に感謝しています。

長くなりましたが、忘れていた自分との繋がりを少し取り戻したことをまとめてみました。

今日も読んでくださってありがとうございました。

最後になりましたが、いつも愛を持ってleadしてくださるMOTHER Sayakaさん、ありがとうございます。

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