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広島とドラフラと祖父と私

生まれも育ちも栃木県のBリーグファン。
となれば、当然、宇都宮ブレックスのファンになるわけで。
勿論、ブレックスは大好きです。
そりゃもう、一人暮らしの狭い部屋に全長130センチのメガブレッキーを置くほどに。
でも、それと同時に広島ドラゴンフライズのファンでもあります。
理由は単純で、祖父が広島出身だったからです。

今日でそんな祖父が亡くなって4年になります。

祖父は広島市西区天満町で生まれ育ちました。母と父、兄と妹が居る普通の家庭。14歳で被爆、母と妹を失い、父と兄と暮らしながら広島高等師範学校に進学。卒業後、広島を離れ、埼玉で高校の数学教師になり、祖母と出会い結婚。2020年に89歳で亡くなりました。

大学卒業後、埼玉に来て、その後ほとんど広島には帰らず、そのまま生涯を終えたので、お墓も埼玉にあります。
祖父が広島に帰らなかった理由について祖母に尋ねたところ、祖父は広島の思い出を忘れたいから帰らないのだと言われました。

まぁ確かに思い出したくない記憶もあるでしょう。
でも、私はそうは思わないんです。

「死んだら遺骨を広島の海に流してほしい」

これが祖父の遺言です。

車はMAZDAしか乗らなかったこと、
カープが2016年に優勝した時、生きてる間にまた優勝が見られるとは思ってなかったと嬉しそうに話してくれたこと、
映画「この世界の片隅に」を見て、市内の景色が当時の広島そっくりだと懐かしみ、2回も映画館に見に行ったこと、

祖父にとっての広島は大切な故郷で、友達と遊んだり、学校へ行ったり、そういう普通の生活をしていた場所でもあるんです。

祖父の家の本棚には観音様の銅像の写真が置いてありました。
私が子供の頃から置いてあったから、特に気にしたことはなかったけど、祖父の死後、それは被爆した母と妹を看取ったお寺にあった観音様であったことを知りました。

祖父は自分の被爆経験を一切語らない人だったので、記憶を閉じ込めて、忘れたふりして生きてるのだと思ってたけど、きっと一瞬も忘れたことはなくて、全て受け入れて生きてきた。
だから、大切な故郷だけど、大好きな場所と手放しには言えなかったし、軽々しく戻れなかった。
そんな祖父の気持ちを考えているうちに、広島に特段思い入れのない私が無責任に祖父の分まで広島のことを好きと叫んで、応援できたら祖父も喜んでくれるかなって。

そんな気持ちでファンをやらせてもらってます。

でも、ここまで夢中になれたのは、何よりチームが魅力に溢れているから。
広島まで遠征に行ったり、CS優勝の場に立ち会えたこと、ドラフラを通してみた景色の全ては、自分の人生を彩るかけがえのない瞬間の連続でした。

「平和があるからこそのスポーツ」「スポーツがあるからこその平和」
そんな思いを感じながら、来シーズンも応援出来たら幸せです!



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