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交通事故から9ヶ月【産業医と面談】

仕事上、産業医と会う機会があり
声をかけ急遽、面談してもらった。
産業医は、私が交通事故にあう前から
元々一緒に働いていた医師。

ナースステーションで、
声をかけた瞬間、
突然、涙が溢れ出て来た。

産業医
『大丈夫だよ。十分頑張ってるよ。
 休みに入ろう。入る時期だよ。』
そう優しく言ってくれた。
別室で、私の話をさらに聞いてくれた。

全然涙が止まらない。
(しんどい、つらい、
 でも働きたい辞めたくない話)
話を聞いてもらえて気持ちは少し楽になった。

後日、

上司と面談

今後の働き方の相談をした。

『頸が、痛くなければ今まで通り働きたい。
 痛みが来ると耐えれなくなり仕事ができない。
 痛い時は、仕事ができない。』

我慢していたけどやっぱり涙が溢れてくる。


上司
『2月の勤務は変えれないけど、
 体調悪かったら、休んでいいから。
 調子悪い時の、夜勤は、
 丸々主任に変わってもらう。
 日勤のところは、休んで。
 3月からは、休めるように、
 全部日勤にしよう。
 タイミングみて休職に入れるように。
 先は長いんだよ。
 今、無理する時じゃないよ。』

と、優しく言ってくれた。
気持ちが、以前より明らかに楽になっていた。
今回(1月)の痛みで
かなり体力も奪われた。
もう1度、タイミングをみて、
休職に入らないといけないと思っていた。

当たり前に生活が出来なくなった今、
今は無理する時じゃない。
家族だけじゃなく、
友人、上司、リハビリみんな同じことを
私に言ってくれていた。
今は、休息が必要なのだとやっと理解してきた。
『次に、あの耐えれない痛みがきたら、
 そのタイミングで、休もうと思う。』
と、夫にも伝えていた。

この時期は、卒業式シーズン
学校の係の集まりで、
色々取り決めをしていた。
集まりも、2時間が限界•••。
段々と話が入ってこなくなり、
瞼が落ちて来て、
横揺れのめまいが始まってきた。
『具合いがわるいので、帰ります。』
と、言い先に帰宅した。

帰ってから私の顔を見た夫
『えっ、また戻ってる。
 調子悪くなったの?』
と、言った。

2時間くらい横になると、
体調が回復して来たのがわかった。

私これから普通に生活できるのかな?
仕事だけじゃなく、
普通の生活にも支障をきたしている。
前ならできていたことが、今はできない。
普通の生活ってどうだったっけ。
頸が痛くない生活って、どんな感じだったっけ。
交通事故にあってから、
当たり前じゃない生活をして9ヶ月目。
もう、普通の生活の感覚すら思い出せないでいた。

この時期から、
疲れてくると頸に負担がかかってきて
さらに悪化するとめまいにつながってくるのが
分かってきた。
頸が痛かったら仕事は、休もう。
そう思えた。

無理はしない‼︎辛かったら、休む‼︎
と決めて仕事をしていた。

けど、
その後はしばらく、
あのつらい痛みはきていない。
このくらいなら我慢できるし、働ける。
リーダー業務もして、夜勤もしていた。
あのつらい痛みがないと、
こんなにも生きやすい。
これなら仕事もできる。
そうなると仕事辞めないで良かった。
すぐ、休職を選択しないで良かった。
と、思い始めてくる。

この時期はなかなか休職に
踏み切れない時だった。
結局仕事も休まず、夜勤もこなしていた。
3月からの勤務も
この痛みの程度なら働けると思い、
『日勤だけではなく、夜勤も入れてください。』と上司に伝え、
夜勤10回のところ8回にしてもらい、
勤務調整してもらった。

調子が良ければ、働ける。
でも具合悪いと、働けない。
月の半分は具合悪くなる状況。
休みに入ろうと思えば、
また体調が回復して来て、
『働ける。』となる。
この具合悪い波がきた時の対処が
うまく出来ず、
どうやって
これから付き合っていけばいいのか
わからないでいた。

そんな時期だった•••。

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