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もっと怒っていいじゃん。


「怒らない」ことを美徳とする

先日
ガチャポンを買ってもらえない小さな子供が
全力でママの身体を叩きながら
「買って~!!ギャー!!これ買いたい~!!💢」
叫び続けていた。

子育ては大変。
しつけは大事。

ママの断固として買わない姿勢は必要だと思う。
飴と鞭の精神は当然だけれども
それを一緒に目撃していた娘が
「全力泣き。ママと子供のガチな戦いだね。」
と。

その後の展開は知らないけど
ママはその子供をガチャポンの前に置き去りにしたまま
スーパーの中に入ってしまったので
結局買っていないであろうと予想がついた。

ママはきっとこのガチな戦いが
外野の目に留まってしまうことがいたたまれなくて
スーパーに入ったとは思うけど
「買ってあげなよ」
「しつけだからここは踏ん張らなくちゃ」
とか感想は人それぞれあるけど
ワタシはその全力で怒ってママを叩いている男の子を見て

「どんどん怒りな!それでいい。買う買わないは二の次で」

と思った。

本来はしっかり言い聞かせをするというしつけもあるだろうが
あれだけ自分の感情を当たり構わず出せることが
一番なんだと。

いたたまれない母親の感情がいつしか浸透して
言い聞かせが理解できるようになると
「我慢」というものがどんどん蓄積されてしまい
出来上がるのは
怒ることはいけないこと。
怒らないで感情を抑えることが「いい子」に変換されること。

それって大人でも根強く「美徳」として生きている場面は多々ある。

だから「力」を借りてしまう。

普段温厚でおとなしいタイプの人が
アルコール入れたら別人になるケースも
そもそもは
「怒ることがいけないこと」
という思い込みと
「怒っている自分」
がせめぎ合ってることが麻痺してしまうから。
なんだと思える。

どれだけ人は「怒り」を抑え込んでいるんだろう。

その反面
日常生活の中でほんの些細な出来事でも
カッチーン💢
ときたらすぐ噴火してぎゃーぎゃーと表現しちゃう人に対して
冷ややかな空気感は否めない。
その怒りの内容にもよるけど・・・

理不尽なことで
世間に反応が起こる怒りを表現する人もいるけど
これは怒りが怒りを抑えて行き場を失くした
本来の怒りとは違うもの。
もう全部気に入らない視点が出来上がってしまってる。

必ず不完全燃焼の怒りが存在しているはず。

だから
不完全燃焼を少しでも燃焼したくなるからこそ
アルコールの力を拝借して
酔ったという保険をかけて美徳を守る。

でも完全燃焼しない限り
ループ。
酔ったらメンドクサイ人になるだけの悲しい結末。

怒りは一番の厄介者

親は子供の安全を第一に
いろんな規制をしながら子育てしてる。
それが時には子供には理解出来ないから
怒りの感情を出しても
まともに扱ってもらえないことから始まり

小さな社会デビュー(幼稚園・保育園)しても
怒りの感情は
「喧嘩はダメよ」と制御され
やがて義務教育に突入すれば
さらに制御される。
仲良し、平穏、波風ナシが優秀。
先生は学力をつけさせるための存在。
児童、生徒の感情の先生ではない。
だからこそ
やっぱり怒りは出る幕がなくなってしまい
そのまま大人になっていってしまう。

だから出せない感情⇒怒りになってしまった。

そのツケがどれだけ人生を拗らせているのか
気づかないまま。
腹黒い我に落胆したりする。
自分で自分が一番ムカついてしまってたりするのが
結構あるのでは?

怒らない人がいい人。
我慢するのが美徳。
でも
やたらとイラつくことばかりの出来事。

この矛盾に
人はもがき苦しんでる。

50過ぎて分かったこと。

どれだけ今まで怒っていたんだ、自分。

それがようやくわかった。
怒ることが出来ないのと
怒ることを表現するのが怖くなって
随分と現実を拗らせていたことに。

怒りこそ素直に見直さなければならない心の声。

今、
アンガーコントロールの勉強をしている。
まだまだ興味深いことばかりだけど
怒りに遠慮していた自分に怒る(笑)

怒ってもいいんだよ。

そして今までずっと怒っていた自分を
学ぶことで知ることになりました。



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