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衝動だけで旅をしたって話。

いじめの話の際にチラッと語りましたが、私は高校生の頃、あまりに無為な旅をしました。

私の住んでいるところは関東平野のベッドタウンである埼玉県というなんの面白みもない場所ですが、土手など見晴らしの良い場所に行くと西側には富士山をはじめ、奥武蔵、奥秩父、丹沢山系、空気の澄み渡る日には八ヶ岳や北岳などが見えるそうですが、見えたことは無いです。っていうか分かるかんなもん。
とにかく西側には砦のように山が聳えています。本州にいる以上、四方のどっかは山なんでしょうけど。

幼い頃からその悠々と聳える山が好きでした。その先には何があるんだろうとか常日頃考えてました。

高校生になり、ある程度遠出も世間的には許されるようになってある夜中に突然「秩父に行こう」と思い立ちました。

普通は電車で熊谷から秩父鉄道に乗り換えれば時間もかからず、労力もなく、大いに秩父を満喫できますが、まず秩父鉄道の存在を知りません。何より自転車通学だった私の頭の中に自転車以外の交通手段は考えられなかったのです。

今でこそ、高校生がクロスバイクなどのスポーツタイプの自転車で通学する姿をよく目にしますが、当時はそんな人はいません。例に漏れず私にあったのはママチャリでした。

思いついた夜中。その夜も明け切らないうちに私は自転車を走らせました。
その時、私は衝動だけで旅をしたのです。

地図も無ければ財布すら持ってない。本当に衝動だけの旅路。

だけどママチャリの前カゴに入ったエナメルバッグの中には何故かお茶猫のデカいぬいぐるみが入ってました。携帯は持ってました。ポケットにジュース一本分の小銭が入ってました。旅の支度としては十分ですね。
時期は5月。目的地の秩父では芝桜が咲き誇っていますが、そんな観光情報を私は知りません。
とにかく山がある。そっちの方に行きたい。それだけです。登山家みたい。

当時私が持っていた事前情報はこちら

  • あの西側の山のどっかが秩父。たぶん北の方

  • 秩父は山

頭悪いですね。
とりあえず自転車で近づきます。

高崎線沿いから秩父までの大体の道のりを言えば、国道254線を北に、寄居まで突き進み、途中合流した140号線を西にまっすぐ進めば長瀞、皆野を通過して秩父に着きます。地図で見れば結構な大回りですが道も広く、勾配も比較的少ないです。秩父に行く際はよく使われる道だと思われます。あとは299号ですね。こっちの方が多いのかな。

ですがそんな事実すら私は知りません。地図を持っていません。一応携帯はありますが、当時のガラケーは地図を使うとものすごい勢いでバッテリーを消費する上、とても使いづらかった記憶があります。
そして「秩父は山の中」という頭の悪い考えはもう一つのルートに行きつきました。

今でこそそっち方面はよく行くので道はかなり詳しいのですが、どこをどう通ったのかは流石に覚えていません。秩父に行く際、あまり通過しない鳩山を通った記憶はあります。たぶん東松山→鳩山→ときがわってルートだと思います。埼玉県民以外は、というか埼玉県民もピンと来ないでしょうが、秩父に向かうルートとしてはかなり回りくどいルートです。

この辺りまで来ると武蔵丘陵となり、奥武蔵の山も間近に聳えています。
「ずいぶん山が近づいたな。秩父までもうちょっとかな?」なんて思ったりしてました。なんなら丘陵をもう山地だと思ってました。
全然まだです。車でもまだそれなりに時間を要します。

都幾川の清流に武蔵丘陵の新緑、抜けるような青い空の下、午前9時くらいに小川町に到着。県道11号に接続すると、何度か家族で旅行した時に見覚えのあった景色が出てきました。
するとルートが絞られ、秩父までの道がはっきりします。
それは東秩父村から定峰峠という峠を抜けて秩父に行くというルートです。

もう一つ、東秩父村から秩父へ向かうルートとして粥仁田峠を越えるルートがあります。こちらは勾配こそ急ですが、定峰峠より早く抜けることが出来、春にはポピー畑を見に観光客で賑わう秩父高原牧場もあります。
が、やっぱりそんなルートを知りません。
『東秩父村』という地名の名称に達成感を得た私は、途中の小さな休憩所の前でお茶猫のぬいぐるみと共に写真を撮りました。
東秩父村は名前こそ秩父であれ、秩父地域には属さず、比企郡に属しているという事実も知らずに。

衝動だけだからママチャリで峠越え

定峰峠は道幅も狭く、車で行っても秩父に抜けるまでかなりの時間がかかります。
ですが、あの頃の私にとって「山を遠くに見ている」のではなく「山を登っている」ことの高揚感が先行して、スタートダッシュは軽やかでした。

ですがやはりいつまでも道は登り続けます。いつになったら終わるんだ?土地勘もなければ電波も届きません。時折訪れる急勾配に降車を余儀なくされ、手で押したりして、余計に時間がかかります。

そんな時、一台のバイクが脇を通り過ぎました。二人乗りの後ろのお姉さんが私を見るなり、

「えっ!?ママチャリ!?」

と大層驚いていました。
何もそんな驚くことはないだろうと思いつつ、前からはくるのはロードバイクに跨るサイクリスト達。
この辺りでママチャリで峠を越えるのは異常なことなんじゃないかと気づき始めたのです。

あまりに辛い勾配に泣きそうになりながらも、定峰峠を超え、あとは下るだけ。ご褒美タイムです。
が、街の坂道とは訳が違います。
早い段階でブレーキが効かなくなるほどの勾配を下り、壁に激突することで難を逃れるという諸刃の剣みたいなブレーキングを強いられたので、泣く泣く急な勾配も降りて自転車を押すことにしました。

帰りもこの道を使わなくてはならないと思うと、すでに嫌気が差していました。

知識も無し、一文なしで観光は出来るのか

そして秩父に到着。ですが、心身ともに疲労した私にもはや達成感も何もありませんでした。
何より、秩父市は山に囲まれているというだけで、商業施設や住宅街がひしめいており、山の中の集落というわけではなかったからです。流石に秩父市民に失礼な勘違いです。そういう景色が見たいのならさらに先の栃本集落や中津川集落まで行かなくてはならないのですが、もうこれ以上山に向かうのは流石に心が折れていました。

途中自販機でジュースを一本購入し、水分を補給しました。これでお金は無くなりました。もう何も出来ません。
私に出来ることはお金を使わずに観光することです。ですが私は秩父の観光名所を一つも知りません。

そんな矢先、芝桜祭りの旗がはためいていました。お花を見るならお金はいらないはず。場所こそ分かりませんが、羊山公園までの無料の送迎バスが出ていました。
有無を言わさずそれに乗り、バスに揺られて羊山公園に。花に興味はありませんでしたが、とりあえず何か名物を見れたらそれで良かったのです。

バスから降りてすぐに私は絶望に立ち尽くしました。
羊山公園は普段は無料で利用できるのですが、芝桜が見頃の時期は入場料がかかるのです。その入場料も良心的な価格なのですが、私はすでに一文なし。
何も出来ないのです。

流石に乗ってきたバスにお金がないからと再び乗るのは恥ずかしく、入り口から遠くに見える芝桜を目に焼き付けて次にやってきたバスに無念の乗車をしました。

心身共に疲労して、何もせずに帰路を辿った記憶はすっぽり抜け落ちました。
なんとかして定峰峠を使わないルートを辿りたかったのですが、当時の私は地図が頭に入っていません。
そしてその後の思い出せる記憶からして、私は再び定峰峠を越えたのでしょう。

限界状態の中の救いの手

峠を越えて、今朝写真を撮った東秩父村の休憩所に着きました。そこの水場でひとしきり水をがぶ飲みして、午前中に買ったジュースの空き容器を水で満たして再び自転車を走らせました。

全行程200km弱、その間体に入ったものがジュース一本と水だけ。死にそうです。5月だったからまだしも、夏休みの決行であれば死んでました。

そして忘れもしない。国道254号線、嵐山町、国立女性教育会館前交差点。
空腹に飢え、自転車を漕ぐ力もなくなりつつある私はなんとなくエナメルバッグの底を探りました。

そこにあったのは粉々に砕けた一個のばかうけでした。
それは、砂漠に突如として現れたオアシスでした。袋を開け、人目も憚らず粉を撒き散らしながらばかうけを食べたのです。

それはどんな高級料理にも負けない甘美なる味わいでした。世界で一番美味しい物は何かと聞かれれば死にそうになってる時に食べるばかうけと答えるでしょう。

そして私はあまりに無為な旅から生還したのです。

今思えば、あれが私の原点

ってなことを仰々しく申しますと、私が冒険家や登山家みたいな感じなりますが、そんなことはないです。旅行が好きな一般人です。

でも、あれから十数年経ってもやってることは変わりません。ロクに計画も立てず、見たいからという理由で山の方に向かいます。
そして後で酷い目に遭います。帰ってきたら無謀な旅路に自律神経を壊して難聴とかに苛まれるのもしばしばです。

また行く先も、観光地でないことがしばしばあります。地図で見ても何も書いてない。だから何も無いとはならずに、だからこそ何があるのか知りたいのです。

そういう無謀さが、計画のなさが、新しい興味を見つけてきます。その興味の積み重ねが人生を面白いものに変えていきます。
私には友人がいません。恋人ももちろんいません。猫はいます。けれど、たぶん人並み以上に、世界は面白いことで溢れているっていう事を感じています。

あの無為な旅路は、そんな面白い人生の始まりの一歩だったと、そんなことを思うのです。




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