オーディオの評価に二重盲検法は難しい

まず初めにこの記事かくきっかけだが、この記事を読んで、「二重盲検」ってワードが出てきたからだ。

とりあえず、私が思うことをつらつらと上げていく。ただ初めに誤解ないように言っておくが、FLACとWAVで「音質違う」なんて主張するつもりは全くない。むしろこの点は引用元の内容と同意することである。

バカといってはいけない

何度も言うか、軽々しくバカというのはやめておいたほうがよい。それだけは思う。また、「音質が違う」のはその人の主観であり基本的に否定してはいけないものだ。

主観を軽々しく見すぎている

正直、この手の話題は「主観」というのを軽々しく考えすぎている。この手の多くの記事の中で、ソフトウェア的、電気的、音響的な信号と、主観的に評価される音がキチンと分けて考えられていないことが多い。

記事の中で、

 オーディオファイル(オーオタ、オーディオマニア)の大半の人は科学を軽視し、自身の感覚だけを頼りに色々な当て推量で物事を考えているんじゃないかと思う。

とか書いてあるが、オーディオに関して基本的なことが抜けているような気がする。というのも、そもそも「聞く」という行為はどこまでいっても感覚的なものであり、その人が「音が違う」を感じたなら、その人を信用するしかない。その人にとってはそうなのだろう。

だからといって、他の人がそうであるかって言えば違う。音じゃなくて味覚で例えてみるならば、ココイチのカレーの激辛が、ある人は辛いと感じて、ある人は辛くないと感じる。それが主観なのだ。それらはそれだけで否定されるべきではない。

そもそも「聞く」という行為は、音のみに依存するわけではなくて、視覚的な情報なども関係したりすると私は思っている。だから、音知覚のための実験は、音の呈示するのみに留まるのは、適切でないこともあり得て、視覚刺激を考えないといけないことがありうると考える。

「耳鳴り」なんてものは、そもそも音が無くても、聞こえてしまう現象だ。だから、人間の聴覚系はそもそも、音刺激に依存しないめんどくさい面もあったりする。

先ほども言ったが、聞くという行為は主観である。そもそも主観と客観を区別したりすることは難しいというか、これ以上は哲学的な内容になってくる。

ちょっと思い出した話

と読んでて思い出した話があって、昔、「ファイルフォーマットが違うと音が違う」みたいなこと言ってきた友人がいて、その時はwavとaiffだっけ?そのような2種類の形式の同じ楽曲のデータを持ってきた。

「ん?そんなわけなくね?どっちも確か無可逆圧縮だしそこまで変わらないのでは?」と思ったし、そう言った。とにかく聞いてみてというので、で私も聞いてみたが、確かに違う。

んー?となって調べてみた。そしたら、そもそも楽曲の波形のデータからして違う。そらそうだってなった。よくよく友人に聞いて調べたりすると、そもそも楽曲の録音が違っていたそうだ。

さて、「なぜWAVとFLACで「音質が違う」という人が現れるのか」みたいなのってこういうところにも原因があるのでは?みたいなこと思った。

脇道にそれた。

二重盲検法の過信

記事を読んでいて、「私はまたか....」って気分になる。二重盲検法を紹介している。二重盲検法は役に立たないとかまでは言わないし、参考になる場合も大いにあるとは思うが、なんだか、過信しすぎている人が多いと思う。

ここから先は二重盲検があんまりオーディオの評価にむいてないなーって感じるところを雑に述べたところである。再度言うが、あくまでWAVとFLACで音質が違う云々を批判する意図はない。二重盲検をそう易々と言わないでほしいという気持ちからである。

二重盲検法以外の方法

そもそも、二重盲検法以外にも、こういったオーディオの評価はいろんな方法がある。

例えば、スピーカーを評価したいのであれば、二重盲検法にいきなり行くのではなく、スピーカーから出た音をマイクで拾ってその信号を、周波数特性やら評価すればいいのだ。

そうやって、物理的な測定(評価)をまず、するべきだ。科学的を重視するのであれば、そういった、音響的、機械的、電気的な測定を行って、違いを分析するところから始まるのであって、主観評価するのは最後の最後だと私は思っている。

だからこの場合では、ある音源のフォーマットの違いが、どのように電気的な信号になって、どのようにスピーカーやイヤホンの振動となって、どのように音響的な現象となるのか、それから考えるべきであるように思う。

てか今回の話題はそもそも、「フォーマットは違っても、データがそもそもく変わらん」で充分で、デコードの話まででいいのだ。

また、余談だが、このような物理的な測定を人体にまで持って行くことも考えていい。脳波を測定してみたいなね。(できることであれば、聴覚の基底膜の振動を観察したり、聴覚の神経をオシロスコープとかで眺めることができればそれはそれで面白いとは思うのだが。)

二重盲検法の難しさ

軽々しく二重盲検法というが、そもそも実験を行うだけでも大変なように感じる。

実験参加者側の問題

まず実験参加者(被験者)の問題である。二重盲検法はある程度まとまった人数が必要である。そういえば記事中に

もう一人の協力者がいる

が書いていたが、これは間違えだ。実験参加者は一人では成り立たない。複数人いて初めて二重盲検法が正当に行える。でこの、「まとまった人数」ってのが曲者で、まず集めるのが大変だ。

そもそも主観評価測定は時間がかかりまくる。一人当たり2時間かかったりすることもあったりする。その実験の内容に合意できるような人を集める必要があったり、それを「まとまった人数」やるわけだから、実験をやる人は大変だなーって思ったことがある。(そもそも二重盲検法は薬学的な分野なので、そもそも違うのかもしれないが)

「まとまった人数」集めた結果、その人間自体が偏っている場合がある。このような実験は基本的にとある地域に住んでいてだったりとか、とある学校の生徒がとか集団の偏りがあったりするかもしれない。また、耳が良い人を集めようにも「耳が良いと思い込んでいる」人がやってきて、本当に耳が良い人が集められないかもしれない。(本当に耳が良い人はこんなくだらない実験に付き合っているヒマがない。あなたの思いつく好きなミュージシャンは参加してくれるだろうか?)

実験参加者の問題は、そもそもその人の能力を測定しているに過ぎないって問題もある。実験に参加している人たちに耳のテストをしているにしかすぎないみたいな。

テレビ番組の芸能人格付けチェックを思い出してほしい。あれは、高級なものと、低級なものを目隠しで当てるゲームだ。あのようなものだと。ある意味あの番組は、「高級なものだから素晴らしい」とは限らないと主張しているかのように考えることもできるかもしれない。しかしながら、どちらかが当てることができなくても「違いがない」なんて言えないはずである。

音源や機材、実験方法のデザインの問題

二重盲検法だと、そもそも、違いを比較するときに、とあるオーディオシステムから、ある部品だけを取り換えて比較するだろう。それがまずいのだ。

たとえば、アンプAとアンプBを比較しようとしたとき、そもそも、その違い再現できるパフォーマンスを持つようなオーディオシステムなのだろうか?という点である。全体のシステムのせいで、そもそも違いを再現できるような環境でないことも考えられる。

また、相性の問題もある。アンプが粗雑であってもスピーカとの相性が良ければ、高級なアンプに変更してもそこまでパフォーマンスに影響がでない可能性だってある。

オーディオの世界は簡単に部品Aと部品Bを取り換えて比較できるほど単純じゃないのだ。本気で比較するのであれば、いろんなシステムを考えて比較しなければならなくなるように思うがそれはそれで大変だ。だからこそ面白くって、奥が深くって、なおかつオカルトが入り込みやすくはある。

また二重盲検法に用いる音源もどのようにデザインするのであろうか?もちろん適当な楽曲で良いとは思うのだが、真に適当な楽曲を選択するのは非常に難しい気がする。

実験方法もきちんと考えなければならない、400Hzと401Hzの純音の音源があったとしよう。この違いを当てるて言ったときやり方はいくつか考えられる。400Hzと401Hzを単純にランダムに流してそれを当てる方法がまず考えられるが、他にも400Hzを基準音をまず提示して、そのあとにどちらかランダムに400Hzか401Hzかを提示する方法などがある。おそらく後者の方が正答率は高くなるだろう。このように実験のやり方に関しても、依存が大きいように感じる。

実験の非日常性

これも考慮しなければならないだろう。どこまで行ってもこのような実験は日常から乖離したものであって、実験参加者に心理的な負担を与えたり、する可能性がある。あくまで、人間に対しての評価であるからにはそれは無視できないだろう。

結局のところ二重盲検法は一見、科学的な手法であるように思えるのだが、このような音響の評価においては非常に難しいように思えるのだ。そもそも臨床医学の実験手法であって、音響の評価手法ではない。音響の主観の評価はそもそも別に存在していて、また、そもそも音響の物理的な特性を測定するところからやる必要があるのだ。

一気に書いて推敲はせずに書いたが、とりあえず、乗せておく。なにか書き足りてない感もするが、一応投稿する。何かあったら書き足し、補足する。また、誤字脱字、あるいは指摘や批判等があれば是非とも知らせてほしい。参考に訂正する必要があれば訂正したりする。

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