片付けまで考える。それだけで生きやすくなるのかもしれない。
これが食べたい!というものがない場合、基本的に夕食は丸美屋食品の麻婆豆腐を食べている。いま子育てをしているとしたら、10年後に子供が「実家の味」だと思うのはこの味になるだろう。それくらい毎日食べている。
食に好き嫌いがない+豆腐と素を合わせても約200円というのがお手頃で、一合のご飯が食べれる。実にいい。
有名な話で
スティーブ・ジョブズがいつも決まった服を着ていたように。
イチローが毎朝カレーを食べているように。
僕は毎晩・丸美屋の麻婆豆腐を食べているだけなのだ。
いつか自分が自己啓発本を出す日がくるのであれば、ルーティンとして毎晩食べていたことを書いて丸美屋さんとコラボさせてもらおう。
食べ終わった後はお皿を洗う。
口にしたり、書いてみたら当たり前だけど、意外とできていないことに気づく。
年末に向けて大掃除をすでに始めていて、自分の部屋と水回りが終わったので、残すところは床掃除くらいになった。
自分の持ち物も綺麗にしようと、持っている革靴を磨きに出す。
有楽町にある「千葉スペシャル」へ赴いた。千葉社長が営む靴磨きのエキスパート集団で、1,500円で半年〜1年間ピカピカが保持できる魔法の様な靴磨き。たぶんあれは魔法。
運が良かったことに千葉さんに磨いてもらうことができた。
「これは変なもので拭いたでしょ、アルコールシートとか」
と初動で見抜かれてしまい、そこから靴磨きと水拭きの大切さをご指導いただいた。
靴が気持ちよさそうだった。一緒に暮らしているぼくが見たことのない輝きを放っていく靴とその技術に見惚れていた。
「ご飯を食べたら、お皿を洗う。当たり前のことでしょう?」
それだけだった。靴を履いたら、靴を磨く。それだけ。
かみなりに打たれた感覚があった。
何かしよう、何かしようと思っていると、ついつい磨くことを忘れている。靴に限った話ではなく、磨くところまでが一連の所作のはずがそれを「しなくてもいいもの」と扱ってしまう。もしくはその所作を忘れて、後回しにしている。
領収書、見積書、請求書、支払い、読書、etc…
集めたら集めっぱなし、読んだら読みっぱなし。
それが後からツケとなって回ってくる。毎日や定期的に見ていれば靴の糸がほつれていたり、自分の歩き方の癖もわかるだろう。
出したものは片付けなさい。
遊んだものはしまいなさい。
と子供の頃に言われたけれど、それができている大人はもしかしたら少ないのかもしれない。なんて思った。少なくともぼくはできていない。
シンプルなものが重なって難しく見える世の中。
何かをするときは、片付けまで考える。
それだけで生きやすくなるのかもしれない。
今日も帰ったら靴を磨こう。