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2016年12月の記事一覧
三国志13 蜀志劉備伝 #10
下邳宴席184年11月
親善の交渉は続いている。いずれ来る黄巾残党討伐の際に、黄河を渡河し南進する劉焉軍には孫堅軍の協力が不可欠なのだ。劉備は孫堅と何度も協議を重ね、友好関係を深めていった。劉備が観るに、孫堅の徐州軍は強力だが官軍主力との連携を断たれて孤立しており、特に物資の面で窮乏が深刻のようだ。孫堅と友好を深める契機はこの点にあると劉備は考えた。
そして11月中旬にもなると、親善の交渉
三国志13 蜀志劉備伝 #9
江東の虎184年10月
冀州の都城『平原』を解放した劉備勢の将兵は、民衆から大歓待を受けていた。『平原』で略奪を繰り返していた賊将『張燕』は劉備達が『甘陵』へ追い払った。また指導者『張角』を失った黄巾の残党は暫くは守勢にならざるを得ない。冀州一帯には束の間の平穏が訪れていた。この間に、連戦に次ぐ連戦を戦い抜いた将兵達へ十分な休息を与えなくてはと劉備は考えていた。
10月2日、劉備は戦死者を
三国志13 蜀志劉備伝 #8
南皮城防衛戦184年9月
南皮城攻略戦の勝利の余韻に浸る間もなく、黄巾の騎馬隊迫るとの一報は劉備勢に一応の動揺を与えた。しかし、劉備の的確な指示により、攻略時に破壊した城門を昼夜を徹して修理した結果、ある程度の耐久力を取り戻すことができ、軍中に安堵感をもたらしていた。
「敵が騎馬隊ならば城攻めには不向き、我が方が優勢でしょう」
関羽は的確に彼我の情勢を把握していた。
「我が隊に連戦
三国志13 蜀志劉備伝 #7
南皮城攻略戦184年8月
黄巾党の張角勢に潜入させていた密偵が帰還してきた。報告によると、数日前に張角勢は大慌てで『冀州』の『鄴』方面に転進し、『南皮』には数千の守備兵と傷病兵しか残っていないという。
「南皮城にはまともに戦える兵は残っていません」
「兄者ぁ、南皮城攻め俺にやらせくれぃ」
「まさに好機ですな、ただ・・・」
「雲長よ、我らは攻城の備えを欠いている」
もともと中
三国志13 蜀志劉備伝 #6
対張角戦184年7月
劉備、関羽、張飛の三義兄弟の心は一つになっていた。目前の敵首魁『張角』を打ち破り、天下を大いに乱している『黄巾の乱』を一刻も早く終わらせると。数でも劣勢、敵黄巾軍の主力が待ち受けていたとしても、劉備勢の将兵に漲る士気はその程度のこと軽く吹き飛ばしてしまうだろう。
「狙うは、敵首魁張角の首ただ一つ」
劉備の号令に、全軍が哮り立ち一匹の猛獣のように動きだす。
7月
三国志13 蜀志劉備伝 #5
大賢良師張角184年6月
劉備は黄巾党との緒戦に大勝した勢いを活かすべく、都城『中山』東方の要衝『安国』の制圧に動いた。この要衝を制圧すれば、約四万の民を『中山』に加えることができる。劉備勢一万九千は、『安国』に到り、徐々にその支配権を黄巾党から奪い返していった。
陣中には様々な情報が入ってくる。中でも劉備を驚かせたのは、天公将軍と大書された軍旗が『河間』の地に集結中の黄巾勢にあったという
三国志13 蜀志劉備伝 #4
初陣184年5月
『幽州刺史劉焉』は機嫌が良かった。密偵から帝都洛陽の官軍主力がやっとその重い腰をあげて黄巾党鎮圧の為に北進するとの情報が届いたのだ。劉備はその様子を見て今が好機と【特権】を使い、『劉幽州』に都城『中山』の攻略を提案した。
劉備は攻略と進言したものの、その内実は救援であった。『中山』は華北の要衝で劉備の祖先『中山靖王劉勝』の封地、縁のある場所でもある。黄巾の乱勃発後、黄巾党
三国志13 蜀志劉備伝 #3
武官登用184年4月
多年にわたり大規模な戦闘が殆ど無かった官軍には実戦経験が乏しく、多くの兵を率いることができる優秀な武官の登用は、『黄巾の乱』鎮圧が本格的に動き出す前の最優先課題であった。
更に官軍を悩ます理由がある。当初、『黄巾の乱』は『太平道』という道教の宗教指導者『張角』が起こした小規模な農民反乱であったが、腐敗した朝延に弾圧されていた知識人や地方武官を吸収し始めると、単なる農民