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横浜を代表するクラシックホテル「ホテルニューグランド本館」

こんにちは、Akiです。
建築好き通訳ガイドの視点から、建物の魅力について紹介します。
(建物の概要のみ英文併記します)

今回は、横浜を代表するクラシックホテル「ホテルニューグランド本館」です。

ホテルニューグランド本館とは

「ホテルニューグランド本館」は、山下公園通りに面して立つ、ヨーロッパ調の落ち着いた外観を持つ日本有数のクラシックホテルです。
関東大震災で大きな被害を受けた横浜の復興を担い、昭和2(1927)年に新しい横浜のシンボルとなるホテルとして建設されました。

東京国立博物館本館などを手がけた建築家・渡辺仁によるデザインは、シンプルな西洋風の外観の中に、日本・東洋・西洋が混然一体となった豪華な内装が圧巻です。
ゲストにはベーブ・ルース、チャーリー・チャップリンなど数多の著名人が名を連ね、中でもマッカーサー元帥のお気に入りの滞在場所となったエピソードを残しています。

誕生から90年以上にわたり、格調高いクラシックホテルでありながら、オープンな雰囲気をあわせもつホテルニューグランドは、世代を超えて人々に愛され続けています。

Standing at Yamashita Park Street, Yokohama, the Hotel New Grand is Japan's leading classic hotel with a graceful European appearance.

The Main Building was completed in 1927 as a symbol of Yokohama recovering from the catastrophe of the Great Kanto Earthquake.

Contrasting the simple exterior, the interior, with a mixture of Japan, East, and West, is outstanding, designed by an able architect, Jin Watanabe, who dealt with the design of the main building of the Tokyo National Museum.

The hotel has welcomed international celebrities, including Babe Ruth, Charlie Chaplin, and General MacArthur, who loved the hotel with his memories.

As an elegant classic hotel, the Hotel New Grand has been loved by people for generations over 90 years, with its open atmosphere.

ホテルニューグランドの歴史

日本最初のホテルは、幕末の万延元(1860)年、開港間もない横浜・山下町の外国人居留地に開業した「横浜ホテル(Yokuhama Hotel)」といわれています。

以後、横浜港近くには多くのホテルが開業しましたが、中でも外国人の資本・経営による海岸通りの「グランド・ホテル」は帝国ホテルと並び称され、関東大震災で倒壊するまで横浜を代表するホテルとして賑わいました。
(「グランド・ホテル」のあった場所は現在、「横浜人形の家」があるところです。)

大正12(1923)年の関東大震災により、横浜のホテルは壊滅状態となります。その後、外国人向けの仮設宿泊所が建てられますが、「テントホテル」といわれたように満足のいく施設ではありませんでした。

震災で被害を受けた横浜から、神戸へと貿易をシフトする動きに危機感を強めた、原三溪ら横浜の政財界人は、外国人向けホテルの建設に向けて動きます。
新ホテルは、昭和2(1927)年に竣工・開業。その名称は横浜市民に公募され、かつての「グランド・ホテル」をしのぶ「ホテルニューグランド」と名付けられました。
神奈川県庁本庁舎の再建が翌昭和3(1928)年というところから見ても、いかに「ホテルニューグランド」が重視されていたかが推察できます。

ホテルの土地、建物は横浜市が提供、経営は民間会社が請け負う方式で運営がはじまりました。現在も土地、建物の大部分を横浜市が所有し、賃貸料がホテルから支払われています。

「ホテルニューグランド」にはベーブ・ルース、チャーリー・チャップリンなど海外の賓客が宿泊します。作家・大佛次郎が長年、執筆活動の場所としていたことも有名です。
そして太平洋戦争後の1945年8月30日、厚木飛行場に降り立ち、「どこへ」と聞かれたマッカーサー元帥は、「ホテルニューグランドへ」と答えたといわれています。
マッカーサー元帥は戦前、ホテルニューグランドにハネムーンを含めて2回も宿泊したことがあり、思い出の場所だったようです。

大佛次郎やマッカーサー元帥が使用した部屋は、現在も「大佛次郎 天狗の間」、「マッカーサーズスイート」として保存され、一般客も宿泊することができます。

平成3(1991)年には隣接する「タワー館」が完成。もとの建物は「ホテルニューグランド本館」として、開業以来ほぼ変わらぬ姿で山下公園前の落ち着いた通りに佇み、世代を超えてゲストや市民に親しまれています。

「ホテルニューグランド本館」は、1992年に横浜市認定歴史的建造物、2007年に経済産業省が選んだ近代化産業遺産の認定を受けています。

ホテルニューグランド本館の見どころ(外観)

建物は、銀座和光ビルや東京国立博物館本館を手がけた「渡辺仁(わたなべじん)」の設計。
渡辺仁は古典的な歴史主義建築からモダニズム建築まで、さまざまな種類の有名建築を手がけています。

「ホテルニューグランド本館」は、西洋古典主義の伝統的な壁面3分割を踏襲しています。
第1層は1階部分(レストランなど)の基壇階、第2層は2階(ロビーなど)の主階、そして3,4階部分(客室)の屋階となっています。
屋上の5階部分は、横浜ゆかりのアメリカ人建築家・J.H.モーガン(Jay Hill Morgan)による設計で、昭和8(1933)年に増築されたものです。

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外観には当時流行したアール・デコの影響が見られ、丸、四角などの幾何学的な要素をベースにした、半円ドーム窓やメダイヨンなどが繰り返すシンプルなデザイン。

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コーヒーハウス「ザ・カフェ」がある建物隅には創業年を示す「AD1927」の数字とともに刻まれた、幾何学模様のメダイヨンがアクセントとなっています。

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窓上部の赤い日除けのフードやエントランスの黒いバルコニーが、建物とともにヨーロッパの街角のような雰囲気をつくりだしています。

ホテルニューグランド本館の見どころ(内部)

比較的シンプルな外観に対して、内部は見どころ満載の圧巻の空間となっています。

まず、エントランスを入ると2階ロビーへの美しい大階段が迎えてくれます。

この大階段はホテルニューグランド本館の中心的存在。手すりは一枚一枚、色合いの違うイタリア製の釉薬タイルでおおわれ、階段には色鮮やかな「ニューグランド・ブルー」の絨毯が敷かれています。

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階段の上には、時計上部にある天女が楽器を奏でながら舞う姿を描いた「天女奏楽之図」が目をひきます。これは、京都西陣織を独自の技法で芸術作品に仕上げた二代目川島甚兵衛(かわしまじんべえ)が制作した綴織(つづれおり)です。

時計の周りには鳳凰をモチーフにした飾りが多く使われています。鳳凰はホテル内の至るところに見られ、関東大震災から復興する横浜を象徴しているようです。

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2階は天井の高い広々としたロビーがひろがります。窓に向かってロビーの右半分(東側)は、柱を石で覆った洋風、左半分(西側)はマホガニーの木をふんだんにつかった和風の空間。
床には「ニューグランド・ブルー」の絨毯が敷き詰められています。
天井の梁の下には西洋と東洋が混然としたような漆喰飾りの模様。天井から吊り下げられた照明には日本の巴紋(ともえもん)が見られますが、器具の形はどことなく東洋風です。

マホガニーの柱の上部には弁財天を描いた青銅製の燭台があり、壁面にはインド古代の聖典カーマスートラのレリーフが描かれるなど、日本・東洋・西洋が混然一体となった空間は、色彩、照明、そして開業当時からのアンティークな横浜家具との組み合わせが織りなす溜息の出るような素晴らしい場所です。

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このロビーだけでも見ごたえ十分なのですが、2階にはさらに素晴らしい2つの部屋があります。
開業当時はメインダイニングだった「フェニックスルーム」と、舞踏室だった「レインボールーム」です。

「フェニックスルーム」は、格式高い格天井など日本の木造伝統建築の様式を取り入れた、桃山調といわれる空間。
独特の形の照明器具やカーテン、絨毯などの内装が、日本風でありながらどこか異世界のような印象を与える豪華な部屋です。

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「レインボールーム」は、往時の横浜の中心的な社交場としての華やかさを持った空間。
虹色の照明が照らし出すアーチのようにカーブした天井は、現代ではなしえないといわれる精巧な漆喰飾りが見事です。

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また1階に戻り、階段の横を奥に進むと、噴水のある緑と光にあふれた中庭(パティオ)があり、こちらはヨーロッパの香りが漂う明るい空間となっています。

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ホテルニューグランド本館にまつわるエピソード

「ホテルニューグランド本館」には、歴史あるクラシックホテルとして、さまざまな人にまつわるエピソードがあります。
中でも異彩を放つのは、初代料理長「サリー・ワイル」と、戦前から戦後にかけて会長を務めた「野村洋三」です。

スイス出身のサリー・ワイルは、ホテル創業時に初代総料理長として、パリのホテルから招聘されました。その料理の腕前に加えて、当時は堅苦しかったホテルのレストランに、カジュアルなア・ラ・カルトのスタイルを持ち込み、ゲストの体調に合わせて料理を用意するなど、きめ細かなサービスを行いました。

彼の創作したドリアをはじめ、その跡を継いだシェフたちによる、スパゲッティ・ナポリタン、プリン・ア・ラ・モードなど、多くの名品がホテルニューグランドで生まれています。

野村洋三は海外に憧れ、アメリカから帰国の船中で新渡戸稲造と親交を結び、武士道の精神を世界に広めようとの思いから、横浜で「サムライ商会」を立ち上げ、日本美術を取り扱いました。

昭和13(1938)年からホテルニューグランドの会長を務め、戦後、ホテルが連合国軍に接収された際、マッカーサー元帥を質素な料理でもてなし、日本の厳しい物資不足を訴えます。野村の熱意が伝わり、マッカーサー元帥はこれに食糧放出で応えたといわれています。

野村洋三はホテルの宿泊客に毎朝、挨拶をしながら握手を求め、「ミスターシェイクハンド」とよばれた名物会長でした。

おわりに

ホテルニューグランドは格調高いクラシックホテルでありながら、とてもオープンな雰囲気で、本館のロビーは常に開かれた状態で、誰でも立ち入ることができます。

開業以来変わらぬ、重厚で落ち着いた雰囲気の本館ロビーで、アンティークな横浜家具のキングスチェアに身をあずけ、横浜が外国航路の船客で賑わった時代、このホテルに去来した著名人のことに思いを馳せながら、当時の旅人の気分に浸るのも格別なことでしょう。

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ホテルニューグランド本館 データ

所在地:横浜市中区山下町10
構造:SRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造5階
設計者:渡辺仁 (5階増築部分:J.H.モーガン)
建設:清水組
竣工:昭和2(1927)年
横浜市認定歴史的建造物

参考文献

「ホテルニューグランド ホームページ」
「野村洋三 顕彰会 ホームページ」
「幕末・明治の横浜 西洋文化事始め」(明石書店)斎藤多喜夫
「横浜洋館散歩―山手とベイエリアを訪ねて」(淡交社)
・「横浜近代建築-関内・関外の歴史的建造物」
 公益社団法人日本建築家協会関東甲信越支部神奈川地域会、まちづくり保存研究会

最後まで読んでいただき、ありがとうございました! これからもご愛読いただけると嬉しいです!