見出し画像

その先にある明晰性

のびたまごのヒビノカケラ
#001

人と話す。
それは、わたしにとってとても楽しいことだ。
本を読む。
それは、わたしにとってとても楽しいことだ。
世界を見る。
それは、わたしにとってとても楽しいことだ。
自分と対話する。
それは、わたしにとってとても楽しいことだ。

事実を真っ直ぐみる。
それは、わたしにとって
とても楽しいことであると同時に、
時にとても悲しいことであることがある。

事実を真っ直ぐみたとき、
そこに悲しみを感じたり、
受け入れ難い葛藤を感じるときがある。
それは、そこにわたしの
希望/願望/期待が含まれていたとき。
つまり、自分がみていたことが
事実ではなかったと知ったときだ。

わたしがみていた世界は、
わたしの思い込みでできていた。

そう気付いたとき、
事実を知った喜びよりも、
今自分が感じている悲しみ(と複雑さ)を
強く感じてしまう。

その事実や、それによって引き起こされた
自分の感情について、
しばらく眺めるということをする。
距離感は様々。地味に長く放置することもある。

そして、その間に少しずつ少しずつ、
そこにある自分の中のわだかまりを、
受け容れていく。
溶かしていく。
歩み寄ってみる。

事実を認識する
=それをまるっと受け容れる
ことからしか、
その次に自分がどうしたいのかを
選ぶことはできないからだ。

flatな状態で、ただそこにあるものをみること。

それが、わたしがしたいことで、在りたい姿勢。

昔は、感情を抜きに物事を見るのは得意だった。
なんでみんなそんなものに振り回されるんだ、
面倒臭いし、判断力・処理能力が
著しく低下するだけなのに、コスパ悪いな…等と
本気で思っていた。

わたしにとってそれは事実で、
そして真実でもあって、自己否定でもあった。

感じないことで自分を護っていたけど、
感じることを否定して、
感じる力が豊かである自分を
受け取り拒否していたということ。

まとめてみると、
自分の中で、事実と感情、
論理的思考と情緒的感覚のバランスをとることが
個人的に大きな課題であることは間違いない。

その先にある、明晰性へ。
自分のことを導いていきたい。


2022.11.23
短く端的に、今を切り取る練習をする。

よろしければサポートお願いします!!!いただいたサポートは、必ず循環させていきます!!!