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ご縁のめぐり②

こんばんは。
のびたまごです。

特に意識してなかったんですが、タイトルをつけるにあたって、何故か同じような感覚になったので②にしてみました。
もとは、石川入りした次の朝に書いたnoteのタイトルです。でも、その前から繋がってるnoteもあるから、本当に②かどうかはそもそも謎ですね。でもそれもよし。なんなら、それ“が”よし、という感じがすごくします。

これを不思議と言わずして(そして、必然と言わずして)何をどういうのだろう。

この間(約4ヶ月半くらい)にあったいろいろな『むすびとゆるみ』があって、出逢ったヒト・モノ・コトがあって、積み重ねた体験があって、『いまここ』の時点でむすばれてるなにかが(そしてひらいてるなにかが)あるわだろうな、となんだかじんわり感じています。

この感覚の答えは、この度の間に出るのかな、出ないのかな。
出ても出なくてもよくて、というか別にそれを求めてはいなくて、なんだかこんな気持ちになれている今の自分がいることが嬉しいなと素直に思える、蟹座新月翌朝の今でした🦀🌑✨

なんとなく引用しておきました。
この感覚の答えは、もう少しお預けかなぁと今読んで思いました。それもまたよしです☺️

さて。
本題です。

サムネイルの絵から何の作品かわかった人います?(きっといると思う🥰)
これは、ジブリ作品『耳をすませば』のワンシーンです。主人公の女の子と、その女の子に片想いしてる男の子の手。

今日わたしが書きたかったのはこういうことだったので、なんか象徴的でいいかなと(このシーンだけで、キャラ背景とかエンディングは関係なしで😇)。

自分が興味なかったことが、ふとしたきっかけでものすごく興味があることに変わることとか、好きになるとか、あるなぁと思って。でも、それってそうなる前の自分に当てはめると、さっに書いたように興味はないし、好きじゃないわけだから、自分からの働きかけによってはそうはならないんですよね。

あくまでも例えですが、このシーンのように、“向こうから手を掴んでくれる”みたいな何かがないと(きっかけとこTRIGGERとなるもののこと)、その存在や想いには気付かないことって、本当にあるなって。

例えば、手を掴まれたとしても、その時に余裕がなければそれまでかもしれないけど、本当にご縁があることとかものって、“手を掴まれる”的な出来事が何回も訪れるんだなと思うんですよね。無意識のうちに、実は自分にとって必要だから(自分の内側が)呼んでいて、でも気付けないというタイミングを何回も経て、少しずつ、これは自分に必要だという自覚がでてきて・・・そうこうしているうちに、やっと目が合うときがくる、みたいな。

で、“目が合って”から過去を振り返ってみたら、色んなことの辻褄が急に合うような気がしたりして。で、顕在意識では違う認識をしていてうまくそのタイミングがくるまでご縁が結ばれないような結びも、ちゃんとできているっていうか。

世界の構造って、すごいですね。

世界の構造、って書いたら、頭の中で「世界の約束」が回り始めました(  ー̀֊ー́ )✧

倍賞千恵子さんの声のが貼りたかったのでこれはっておきます。

そういえは、「ハウルの動く城」って今書いたようなご縁が描かれた話かもしれないですね。
「未来で待ってて」っていうソフィと、「やっと見つけた、探したよ」というハウル...。


なんだか、すんごいいい感じにまとまりました。
何か、不思議な計らいを感じます(*^^*)

なので、今日はあえて言語化せずにこのまま終わりにします。
ではみなさま、おやすみなさい。



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