blank□○△ 2023/01/04
ブランク。
めちゃくちゃよく聞く言葉ではないかもしれないが、それなりにはよく聞く言葉だ。
この言葉がふと頭に浮かんできたので、一応意味をさらってみた。なぜ、spaceではなくblankと浮かんだのかが自分で気になったからだ。なぜ気になったかというと、ふたつの言葉は同じ「空白」を示す言葉でありながら、そこに満ちるものが全く違う(光と闇ほど違う)と瞬時に感じたから。
Google先生に尋ねてみると、サクサクと検索結果がでてきて、ポチリとあるページを開くと、想定された言葉の羅列が提示された。
その中で、よくよく提示されたページを見ていると、以下のような言葉が書いてあった。
一旦言葉の定義を共有した上で、ここからはわたしの中に満ちていて溢れてくるそれらをそのまま書き記すことにする。なぜなら、本当は説明とか建前なんてどうでもよくて、わたしが今書きたいことはここから下のspaceに書くことだからだ(と、ここまで書いてきて/書きながらほぼ同時にわかっていて/感じていて、一足飛びに書きたいことだけを書けない自分にもどかしさを感じるからだ)。
まず第1に、空いた空間に入れるのは罪悪感じゃなくていい、ということ。悲しみでも、怒りでも、自罰感でもなくていい。
そこには、もうすでに入っているものがある。それはひかり。純新無垢な、わたしというひかり。ただ生きることが、ただここに在ることが喜びであるという、軽々のひかり。
そのひかりに最もくっつきやすいものが、自罰感という名前の闇だったりする。'わたし'の中で起こる光と闇の攻防は、'わたし'という人が誰なのかを教えてくれる。なのに実は、'わたし'という人間が誰なのかは、その攻防を繰り返すことではわからなかったりする。その攻防があることを認識出来たら、じつはその横のパラレルワールドがみえてくる。そのパラレルの名前は「承認」。
そこは、ありのままの、あるがままの、'ただのわたし'をわたし自身が承ることを識るという体験をする世界。実は、光と闇の攻防を繰り返す世界の名前は「判断」という。その世界から出るためのたった一つの方法は、今ここにいるわたしが、わたしに対して白黒付けようとしていることと、今ここにいるわたしが、わたしという人を頭で理解してcontrolすることは不可能だと知ることだ。それを、きっと「自分に降参する」という。
「承認」の世界は、別名を「サレンダー」というらしい。つまり、そのまま素のまま、わたしが他の誰でもないわたしであることに責任を持つこと。その責任をとる覚悟ができたら、あなたのいる世界の名前は「義務」から「誇り」に変わる。
blankのページは、埋めなくていい。そのページは後天的に得た/得なければならなかった自我で埋めるものではなく、先天的に与えられていた無我で溢れているもので、人生とは(大きく出たな)、無我→自我→無我(と自我の共生)というプロセスを遊ぶためにわたしたちにゆるされた至高のひまつぶしだ。
もともとjoyがあるところに、無理矢理enjoyしなくていい。blankの白はひかりなのであって、空っぽなのではなく何よりも満ちている。空は、決して空っぽという意味では無い。それは、全てが満ちている空間のこと。
ただ、ただのわたし、ただのひかりが既にここにあることを知って、そのひかりのままに光ることができるように、全力を尽くして『わたしを体験する』をすればいい。まずは真ん中にある魂の望みを知ること。その望みはここに在る全ての魂にとって共通であること。そしてそれは、もともと満ちていることを思い出すこと。わたしたちが体験したいことはきっと、今も昔もそれだけなのだ。
2024.01.04 (4/366)
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