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しぜんとなかよくなる 10/12
今朝は何故か早く目が覚めて、それと同時に夢の中で何かつかみかけたような、何かをつかんだような感覚があって、寝ぼけ眼でそれをスマホにメモしたりしていた。
そしたら顕在意識と潜在意識の間の中間意識的なもの(わたしが感じている深さのニュアンスで話してます)が覚醒してきて、そこから今の自分の状態についての考察がはじまり、なんだか他人事のように顕在意識からそれを眺めていた。
それは、多分昨日寝る前にこのメッセージを降ろしたからかもしれないなと(普段あまり降ろすとか言わないけどここは識別化したいのでそう書いておきます)、今このnoteを書き始めて気がついた。
すべてのことは
— のびたまご✵内なる星の調べと響き(仮) (@nobi_ta_mago) October 11, 2022
そうなるようにながれています
どうにかしてどうにかなることは
もともとそうながれるものだったということ
どうにもならないことがあるとしるとき
それをそのままにすることができます
それがしぜんということ
そしてそれがあなたにとっても
しぜんということ
#のびタロ pic.twitter.com/2nhc9WyjOL
しぜん
わたしは田舎生まれなので、子どもの時は当たり前のように自分の周りに自然があった。今もないとは言わないけど、やはり実家に比べるとそれは少ないと思う。それに、子どもの頃は嫌というくらい色々と手伝わされていたので(苦笑)、田んぼや畑の中にいる時間も多かった気がする。
その反動と都会への憧れから、なんとなく日常においては敢えて自然離れをしてしまっていた。父親からは、よく「自然に触れなあかん」と叱責されていたけど(といいつつ、今感じるのはちゃんとわたしのことを観て必要な助言をくれていたというのが正しい表現であり決して叱責などではなかった)、とにかく反抗心の強いわたしは正直「またか」「うるさいなぁ」と思って頑なにそれを聞き流していた。海には憧れがあったので(実家の周りには山と田畑と川はあるけど海はない)、見に行く機会があれば意識して行っていた。
それが、いつの頃からか自分は自然に触れることで癒されているのだと気付きはじめ(恐らく気付いたということに気付かないくらいそこは逆にしぜんに)、おそらく少しずつ少しずつ、色んなところから距離が縮まっていき、大きな空や山などから包み込まれるような安心感を感じるようになっていき、そう感じるようになっていくとしぜんとご縁が増え、知らず知らずのうちに、気が付いたらよく山の中を歩いているなぁと思うのが日常になってきている。数年単位での変化というものは、気付けばそこにあるけど気付かない間は全く気付かないものだなぁとしみじみ。
ちなみに、実はわたしって山派じゃない?と実感(確信)したのはこちらのnoteを書いてから。
一言で言うと、わたしにとって海は憧れ、山は居場所ってことになりました。
これを書いたことで、そのあとの自分にもものすごく繋がったし、それまでの自分(過去世とか)との架け橋にもなっていて、やはり必要なことは必要なときに起こっているんだなぁと今読み返してみてまたじんわりしてしまった。
つなぐ・つながる
今月こういうことが多いのは、今が誕生日前だからかもしれない。誕生日月はやはりルーツとかこれまでとかこれからとか、たくさんのことを感じられるタイミングだなと思う。大晦日にその年のことを振り返るように、誕生日月は自分のその年のことはもちろん、他にもいろいろと感じたり思考や感覚が巡ったりすることが多い。
特に今年は、年始からそういう感じはしていたものの、6月に富山、そして北海道に行かせてもらえたタイミングから本当に山にご縁ができた。緑の中にいることが当たり前になってきて、しぜんになってきた。そしたら、これからもわたしはそういうところにいるんだろうとしぜんと思えるようになって、そしたら現実世界でも自然の中にいることが多くなった。
そして、時を同じくして、自分の中にある"しぜん"に気付いたことが、外側の世界での自然としぜんに繋がるためのTRIGGERになったのだということにも気付いた。
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8月に長野(諏訪四社、穂髙神社)に行かせてもらったこの辺りからは、もうその感覚が確信になってきている。9月はマントラの奉納をさせていただいたこともあり、金比羅山にもお参りをさせてもらった。
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じぶんとしぜん
自分と自然。
それは恐らく、これまでもずっとそう在った(自分の中に自然が存在した)のだけど、わたしは気付けていなかったのだと思う。
しぜんとつながることは、わたしにとっては今ここにいる自分と繋がることでもあったし、これまでの自分のルーツとも深く繋がることだった。
有難いことに、4月くらいからは過去世に関することで、自分に向き合うことも増えていて、それもあってしぜんと自然に導いてもらった感じがしている。それは、自分がそう求めていたことでもあって、色んなことが少しずつ繋がっていくなかで、現実として目の前の世界が場所の移動も含め、そう変化して行ったということだと思う。
ひとりではなにもできていない。
それらは全部、子どもの頃からわたしの周りと、わたしの中にあったもの。こうやって、時間をかけて、ゆっくりと、時に急激に、自分と繋がるということが起きていた。こうやって振り返ってみて初めて、このnoteを書き始めたころには思いもよらなかったところに着地しようとしている自分に驚いている。
実は、「自分の中に空を増やす」というところが実は今日の思考(顕在意識と潜在意識の間の中間意識的なもの)のはじまりだったのですが、その空とは既に存在していて、増やすものではなくただ在ると感じることだった、というのが今日のわたしが辿り着いた答えでした。知足とはこのことだなぁと、またしみじみ、じんわりしました。
おしまい。
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