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はじまるっておもったときそれはもうはじまっている 2024/03/15

だから、心配しなくて大丈夫なんだ。
次の世界は求めなくても求められていくもので、開こうとしなくても開いていくもので、拓こうとしなくても拓いていくものだったりする。自分からどうにかしようとするよりも、自然と流れが流れていくように、はじまるものがはじまっていくように、邪魔をしなくてすむように整えておくことが大切だと思う(そして地味にむつかしいことだったりする)。

今回も少しタイトルを考えて、今回は後から考えた方を採用した。最初思いついたのは実際につけたものよりも少し長めの「はじまりにはいつもはじまってからきづくもの だからきっとはじまるまえのそれははじまるっていうかくしんなんだ 」だった。同じ意味だけど少し違う。違うけど違わない。実は確信は常にあって、それを大切に自分に真ん中に置いているとき、世界は常にはじまっている。そのとき自分の居場所、エネルギーの巡る真ん中の起点であり終点である通過点のことを《イマココ》という。

朝起きて、しばらくしてからスマホのガラスフィルムが割れていることに気が付いた。昨日は割れてなかった。そしてわたしはスマホを落としていない。でも、スマホのガラスフィルムは割れている。そういうことなのだ。パラレルが変わったのだ。このフィルムを買い直すのではなく、わたしはiPhone自体を買い直すのだ。もう誤魔化すのは終わりだ。だって、世界の方から、わたしのことを迎えに来ているのだから。

2024年03月15日は、天赦日、一粒万倍日、寅の日が重なる日ということで、何だか朝からパ───────っと華やかな感じのする日だった。流れが変わって、これからが始まることが示唆されているような、実はずっと前から知っていたような、そんな不思議な体感の日だった。あと5日で春分になる。でも、きっともう空気は変わっているんだと思う。わたしたちは、冬を超えて、春を迎えていく。それは、変化は一瞬でありながらグラデーションであるからで、世界は常に隣り合わせだからなのだと思う。それは不変で普遍の事実であり、世界が巡っていることの顕れである。世界も季節もわたしたちも、常に "隣にある隣り合わせの世界" と融合しながら─それは小さな一歩を毎日踏み出し続けること─、ハルカトオクの世界へとうつり変わっていく。つまり、逃げずに闇を抱きしめ、共に佇み、耐えるべきに耐え、向き合うべきに向き合ったおかげで、ひかりが溢れ、命が漲るこの世界に辿り着いたのだ。

だから、大丈夫なのである。いつだって、この世界はわたしとわたし意外の全ててめぐっている。わたしがわたしを見失っても世界は変わらず存在する。世界が変わらず存在しているとき、それを冷静に見つめるわたしがいる。イマココの永遠は、イマココの刹那でもある。その2つの時間が重なる場所で、ただ『わたしを創造createする』ことを、選び続けていきたい。



2024/03/15 (77/366)

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