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ニケ - Nike - それは勝利の女神の名前 2024/06/06

ニケ - Nike - それは勝利の女神の名前。
そしてとあるシューズブランドの名前。

わたしがそのことを知ったのは、2010年の9月、エフェソス@トルコに行ったときのことだった。ツアーのガイドをしてくださった現地トルコ人の男性が、ニケのレリーフの前でそう説明してくださったのだ。

そうか、NIKEナイキって、勝利の女神の名前なんだ。相応しいなぁ。何故か自然とそう思ったことを、わたしはものすごくよく覚えている。まるで今、その場所に居るかのように。

ちなみに、トルコに行ったのは厳密には何年だったのか、頭の中で計算してみたが悲しきかな自信がなかったので、最近久しぶりに投稿したFacebookのプロフィールに確か書いていたな…と思い至り(Facebookがわたしの人生にさすがのタイミングで再登場してくれていてよかった!)、確認したらやはり書いていた。ありがとう、過去のわたし。そういう、自分の人生のイベントを記録しておいてくれて。

2010年の9月、木星は魚座で天王星とcjnしており、海王星はまだ水瓶座にいた。というか、その海王星はわたしのリリスに乗っかっていた(初めて知った)。冥王星は山羊座に入って少し経ったころで、土星は天秤座にあった。ちなみにわたしが適当に振り返ったのは2010年09月27日で、あと数日で太陽が土星にcjnする。ちなみにそのあたりはサフランボルからイスタンブールに戻っていた頃のはずで、スルタンアフメットモスク(通称はブルーモスク)に行ったり、アヤソフィアに行ったり、トプカピ宮殿に行ったり、ボスポラス海峡クルーズ(ヨーロッパ側からアジア側に行くのではないやつ)をしたりしていた。ホテルは最終日は確か星が着いていたように記憶している。赤いホテルだった。話が長くなってしまったので星の話に戻すと、2010年の9月末、水星は乙女座、火星と金星は蠍座で重なりそうになっているところ。ちなみにここまで書いたんだから書いておくと、月は牡牛座のど真ん中を通り過ぎる日だったらしい(逆行している天体は太字にしておきました)。

なるほど。旅の日を厳密に覚えていないのだが、確か帰ってきて割とすぐに学会に参加したので(笑)、その日程をネットで調べたところ(合わせてフライトの記憶などを辿ってみると)、恐らく秋分あたりから10日ほど行ってたような気がする。そしてエフェソスは行程的にパムッカレのあとだったから、恐らく旅が始まって4日目くらいなので、たぶん27日くらい(時差があるから)。おおー!と自分で思うくらいには結構な記憶力で、我ながら少し感動してしまった。

話を戻そう。そのニケのレリーフはそこからわたしの中に住み続け、その8年後の05月23日にこのnoteのサムネイルに使った「Nike」という作品としてわたしの中から再び蘇ることになる。

オリジナル曼荼羅アート『Nike』2018/05/23

ちなみに、その絵を描く前にわたしはもう一度ニケに会っている。それはどこでかというと、2018年の3月に行ったギリシャはオリンピアの考古学博物館でだ。

『Nike Of Paionios』 Archaeological Museum of Olympia

ちなみに、オリンピアの遺跡にあるヘラ神殿では、今もオリンピックの聖火の採火式が行われている。他にもゼウス神殿やスタジアムも見学できるので、古代ギリシャ人がここでオリンピックを!という時空を超えた感動に浸れるのでオススメ。

スタジアムにて。6年前ですw なんか若い!🌱
ネックレスはもう今と同じのをしております
(ちなみに大きいチャームの方はアテネにて買いたてホヤホヤ)

話がどんどん過去に遡っているのだけど(というか厳密には遡りまた辿ってきているのだけど)、わたしがこのnoteを通して書きたいことは、今、わたしは勝負のときだということ。誰かとする勝負ではない。自分との勝負。自分を自分たらしめるための、葛藤を越えて受け容れて、新しく生まれ変わるときだとひしひしと感じているから。

人は変わらないといけない。変わらずにはいられないからだ。流転する万物の中に自分だけ含まれないなんてことはあるはずがなく、わたしたちもこの世界も、常に流転しているのだ。それが自然、自然体であるということ。でも、その自然や自然体であるということが、とてつもなく難しいときがある。そういうとき、人は変わらないといけない。勝手に滞ることを自然はゆるしていないし(ただし目に見えるそれがある特定の条件下では自然である場合も恐らくある)、ゆるされてもいけない。わたし(たち)は、変わらないといけない。変わり続けないといけない。それが、自然であるがゆえに。

変わり続けてきたからこそ今の自分がいるのだと思うと、過去の各時点において葛藤してきた自分に感謝の気持ちが湧いてくる。ありがとう。あのとき葛藤してくれたから、わたしは今ここにいる。そして、だからこそ今ここにいるわたしがしている葛藤は、わたしを未来へと連れていくと確信できる。時間は巡りながら常ここにあって、流れながら流れずにあるというか、ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水ではない…というか。

そろそろ眠くなってきた(あくびが出てほっとした)ので、これでこのnoteは終わりにしようと思う。不意に過去の振り返りができたことがとても良かった。わたしは、過去のわたしをとおして過去のわたしは大丈夫でしかなかったことを知った体感し直した。それはつまり、今のわたしもまた「大丈夫でしかない」ということであるのだから。



2024/06/06 (139/366)


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