見出し画像

#01-07 「家族」

やべー、全くルール守れてないよ!と汗汗しているのびたまごです。
みなさんこんばんは🥲


さてさて。
わたしにとってもお久しぶりの、「あゆむ・のびる・めぐる」です。

1月11日からはじめた、あゆみさんとの往復書簡。
わたしの番の4回目です☺️

☟あゆみさんの前回のnoteはこちら。

スピンオフ参加もお待ちしておりますー💙



ということで。
早速書いていきます。

といっても、何を書くかは決まっておらず、漠然と筆をとって書いてみてるというのが正直なところです(しかも実際に筆はとっていないので、指を弾いているというのが正確な表現)。


今回のテーマは、なんと「家族」です。

次のテーマは、、、
「家族」です。
家族から連想されることならなんでもOK。全く関係ないことでも🙆🙆‍♀️🙆‍♂️
#01-06 クレヨンしんちゃんにまつわる何か
定期購読マガジン「あゆむ・のびる・めぐる」より


すごいところに触れてきたな。

まず、これがわたしが前回のあゆみさんのnoteを読んで思ったことです。さらにそれは、例えるならばパタンと本を閉じた感覚を覚えた瞬間でもあります。実際には1度iPhoneの画面から目を離して、目を閉じて、深呼吸したはず。そのくらい、さらりと、とそしてずしんと、わたしの中に響いた言葉であり、次のテーマ。

「家族」かぁ。
わたしにとっては、鬼門のようなテーマです。
どこを書こうかな、という感じ^^;
・・・まぁ、いつものように、まずは言葉の定義を確認しておきましょう。しなくてもわかるけど、しておきましょう。

② 行くのがいやな所。一般的に、その人にとって、いやな、にが手な人・場所・事柄についてもいう。
コトバンク(☟)

あんまり気は紛れなかったw
いや、ほんと家族については書きたくないし語りたくないしなんなら触れたくないので(苦笑)、魂のルーツとかに話を振ってしまおうかと何度も自問自答していたのですが、そうは問屋が卸さない。
逃げるという選択肢はわたしの中にはない。だとしたら、書くしかない。どこまで書くかは選べばいい。
・・・そういう結論に、今(2022/06/06 20:40:12)達しております。


そもそも、「家族」ってなんだ?

みんな考えた事ありますか?
「家族」とは。そのあり方について。
わたしは、自分とは?に次いで、もしかしたら家族とは?という問いにずっと向き合ってきているのかもしれないと思うくらい、実は家族というものがわからないんです。

家族という言葉はわかるし、家族はいますよ。
でも、わたしにとっては、わたしと同じくらいにわからない、近くて遠い存在。それが「家族」なんですよね。

今回、このお題のnoteを書き終わってもきっとわたしの中で答えは出ないのだろうと思うけど(今これを書いたことでめちゃくちゃ気持ちが楽になった)、でも今の自分の中身を整理することでわかることはあると思うので、まずはこのお題をわたしに与えてくれたあゆみさんに感謝を。
いつもありがとう。


とにかく早く離れたかった10代

何をどう書こうか悩んだ結果、まずは簡単にこれまでの振り返りをしてみることにします。

わたしは家が嫌いな子どもで、家にいるのが嫌だった。
家より学校が好きで、家に帰るのが嫌だった。

なぜそんなに家が嫌だったのかというと、家の中にはわたしの自由がないと感じていたからだと思う。そもそも、幼い頃は自由とかそんなの考えたこともきっとなかったはずだけど、とにかく親の言う通りにしないといけないと思い込んでいたし、実際そうしていた。

・・・という記憶が強い。
記憶が強い、と書いたのは、後からの長年にわたる検証により(笑)、実は自分自身の思い込みであることも多々あるとわかってきているから。あと、親(家族)を悪くいうことにめちゃくちゃ抵抗があるから。どっちにしろ、わたしの側からの一方的な感覚であることに違いはないのですけどね。ここでわたしが書くことはわたし自身の主観であり、でも内容はわたし一人のことではなくむしろ人のことを書くということは、一人語りであるということ。わたしは一人語りは視点が偏っており(だからこその一人語りなのですけど)、公平じゃないから嫌い、というのが大きい。いい子ぶってるのは分かってるけど、でもそこは通したいという感じなので、このnoteはこのスタンスで通します。

でも、その時代のわたしが感じていたことというのは間違いなく存在していて、その自分を尊重したい気持ちもあるし、それをあると認めずして自分の気持ちを見るのは無理なので、今日のところはそこは解禁して、「わたしはそう感じた」「わたしはそう思っていた」ということで統一しておきたいと思います。つまり、あくまでもわたしの主観ということを忘れずに書いていきたいということ。

なんか間が長くなりました。
閑話休題!ということで、話の続きに戻ります。


とにかく早く離れたかった10代 ②

とにかく、中学生の頃にはもう家から出たかったです。
自分だけの時間が欲しかったし、1人になりたかった。誰かとずっと一緒にいるのがしんどかったのだと思う。そしてそれは、その人といる限り、または家族の中にいる限り、その場に応じた自分を演じているという感覚が当時から(というか当時のほうが)強かったからだと思う。そういう意味で、全くブレないんだなぁ、わたしは。

好きにしたい、勝手にしたい、でも許されない。
そんな葛藤の中にずっと居た。
長女だから、という理由で(こんな理不尽な理由や理屈はないと思う反面、事実としてはそうなので、その理由が成り立ってしまう/ある意味正当化されるから悔しい気持ちになる)色んなことをしないといけなかったし、実家が自営業ということもあって、「〇〇さんの娘さん」という目で見られることも多かった。

わたしはそれが嫌いだった。子どもながらに、わたしという個人としてわたしのことををみてくれていないと感じていたのだと思う。でも当時はその理由がわからないまま、そうする方がいい(というかそうしなければならない)という気持ちだけがわたしのことを引っ張っていた。だから、ただ「〇〇さんの娘さん」とか、「お姉ちゃんという立場」にふさわしい自分であることに重きを置いて日々を過ごしていた。それができてしまったから、逆に自分を置き去りにしてしまえたのだと思う。合わせられるというのは悲劇を産む。

そのうち、いい子でいることが当たり前になって、そこに心地良さを感じてしまうようになって・・・でも、それはそれで真実なのだろうと思う。
また、おそらく当時から自分がこうするであろうことやそうなるであろう未来が何となくわかるときがあり、それにそって選択していたいくつかのことが、当時は親のせいになっていたこともあって、いつしかわたしの中でバランスが崩れていき、心が閉じたりしているときもあったりした(登校拒否まではいかなかったけど、精神的にはそういう状態になったことがあり、親と妹たちに多大なる迷惑をかけております)。

そんなこんなな10代でしたが、短大進学とともに寮生活になったので、家を出たいという当初の願いは叶ったりもしています。
家に帰りたくない問題は家を出たあともずっと継続します(今のところ手を替え品を替え、まだ継続してます)。


一人で生きているつもりだった20代

絶対に実家に帰りたくなかったわたし。
かつ、親の思いどおりになりたくないという気持ちと、医療従事者として就職後もとにかく学会活動をしたりして個人的にキャリアを築きたいという気持ちが強く、そうやって優秀な社会人としての地位を手に入れたいとわかりやすく欲に向かっていたあの頃...。

こうすれば認められる、こうすれば褒めてもらえる、こうすれば理想の自分になれる。
その中に、家族はいませんでした。

というか、1番認められたいのは家族のくせに、はじめからそれを諦めていたのですよね。どうせ認めてくれないならわたしは勝手にやってやる!社会的に認められれば文句はないよね?だったら有無を言わさず認めさせてやる。そして1人で生きていってやると、なんだか物凄く窮屈な正論を胸にとにかく認められることに重きを置いてました。

1人でこれだけ稼いで、職場でも重宝されて、わたしはすごいでしょ、わたしはこんなに必要とされてるんだよ、だから口出ししないでよ。
そうやって、とにかくひとりで生きてるつもりでいました。みんな何も分かってないって本気で思っていたし、親のことも、上司のことも、馬鹿にしてました。想像力が足りない、もっと頭を使えって。ほんと、誰やねんって感じです。若気の至りといっておさめるには無理があるなぁと(よって本当は描きたくない)。

とにかくひとりで、親にも誰にも助けてと言わず、なのに自分は周りを助けてる気になって、偉いって勘違いして生きてる時がありました。28歳くらいに転機がきて、そこから本格的に心理学などを学び始めるに至ります。

自分の中に答えがないこと、どんなに調べても勉強しても、わからないことがあるとわかったこと。この先は、誰かに教えてもらうことでしか活路が見いだせないんだと確信したときの絶望は、今でも忘れずハッキリと覚えています。
ただ、その絶望が、その時のわたしを今のわたしには繋いでくれました。

【余談】でもこれ、多少は変われてるかもだけど、今もやってるかもしれないです・・・書いててなんかそんな気がしてきて。ほんと恥ずかしいなと。
そう思うと、人間って簡単には成長しないのかもしれないですね。または、ハマりやすい癖というのがあって、それがわたしにとってはこういう感覚のことなのかもしれないなぁと思いました。1人になりがち、勘違いしがち。もっと周りを見ないといけないなぁ。


感謝できるようになってはいるけど、まだまだ気持ちの置き所がわからない30代

そして、28歳の誕生日くらいから色々と学びにいくということをはじめて、自分という存在について、感覚について、向き合い、思い出すということを続けた結果、長年務めた仕事を辞めるに至ります。

忘れもしない、2017年04月06日。
両親と日帰り旅行に言っていたわたしは、真剣に話したらいえなくなるからとサラリと帰りの車の中で、「仕事辞めようかな」と、切り出したのでした。

そのときの両親の反応はとてもよく覚えていて、父はわたしの背中を押し、応援してくれる言葉をくれて、母はただそこで静かに受けとめてくれました。このときがもしかしたら、わたしが自分についての学びを深めてからは初めて、家族が味方であるということの安心感や喜びを感じた瞬間だったのだと思います。

わたしがその仕事をしていることで苦しんでいることは両親にとっても苦しみだったのだと思うので(この辺はまた機会があれば話すかも)、もしかしたらあの時のわたしの決断はわたしだけでなく両親のことも解放したのかもしれない。実際、後で妹からそういう話を聞いたこともあって、自分に都合がよすぎるなと思いつつも、わたしの中ではそういうことになっています。

こうやって振り返ってみると、家族って一蓮托生だなとか、そういう意味で同じ課題に向き合っているのだなとか、ある意味当たり前のようなことを今更ながら思ってしまう自分がいて、何やら複雑な気持ちに・・・。

まだまだ、浅はかすぎて目眩がしますが、現時点ではというとで今後の自分の成長に期待したいと思います。

このあと、まだまだ紆余曲折あって、海外に行って色んなことを思い出したり(いわゆるデジャブ)、何だかんだで仕事に復帰したり、転職したり、そこで鬱っぽくなってまた仕事を辞めたりしました。

2017年に正職員を辞めてから(辞めると宣言してから)今に至るまでの丸5年間は、わたしにとっても色んな意味で戦いの日々でした。と同時に、親(家族)にとってもそれはきっと同じで、家族のひとりひとりに、それぞれの人生があって、なのにその中の大切な時間を、わたしに沢山割いてもらっている5年間だったんだろうと思うんです。

で、今こうやって振り返っていると、わたしは一体何をしているんだろうと途方に暮れてしまう自分がいるというのが正直なところなのですが、ここで途方に暮れたところで何も解決しないし、わたしもそんなの嫌なので、ちょっとだけ泣いて、その後は前を向き直したいなと思ってます。

まだまだ、家族に何も返せないわたし。ぜんぜん、自分の気持ちの置き場所が分からないし、全然恩返しもできてない、そんな情けないわたし。

「家族」という存在が何なのかもわからないまま、もうすぐ39歳になってしまうという焦りだけはあるのですが(だいぶありますね、たぶんちゃんと自覚したらメンタルが死んでしまうくらいには)、面倒くさくて関わりたくなくて大っ嫌いだったその存在に対して、少しずつだけど、きっといろいろ解れてきてると思いたい。
ここまで書いてきて、最初予測した通り何の結論にも辿り着けていないけれど、今わたしの中に素直に湧いてきてる感覚は、そういう感じです。


GO NEXT ☞

とりあえず振り返りが終わったらなんとなくまとめをしようかなと思っていたけど、振り返るだけで終わっていい気がしてきたので(とても書ききった感がある)、今回のお題「家族」についてのnoteはこれで終わりにしようと思います。

たぶん、今のわたしは何度目かの転機にいて、どうやったら家族との関係性がうまくいくのかとかより良くなるのかとか、全然わからないのですけど、でもたぶんわたしの家族は家族とはなんなんだとかそんなことわざわざ考えるなんてあほやなぁとわたしのことを笑い飛ばすような家族なんですよね。

だから、たぶんわたしひとり、上手に家族できないんです。でもわたしがそんなのだってことをわかってて、それでもほっといてくれてる、本当に有難い家族です。

うっとおしくて頑固でうるさくて分かり合えないと思うこともいっぱいあるけど、それはそれ。死ぬほど嫌でも死なないし、縁を切りたいと思ったことはあっても、逆に絶対に切らない。
そんな大っ嫌いだけど大好きな存在。
それがわたしにとっての「家族」なのかもしれないです。


次のテーマは・・・

ということで、あゆみさんへの次のテーマですが、「大っ嫌いだけど大好きなもの」です。

よろしくお願いいたします( *´˘`*)ノ♡♡



おしまい。

よろしければサポートお願いします!!!いただいたサポートは、必ず循環させていきます!!!