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どんなに尽くしても、届かないことはある。自分の中に在る『正義』を貫いた先にあるもの。 #麒麟がくる 第43話

こんばんは。
のびたまごです。

『麒麟がくる』の「第43回 闇に光る樹」見終わりました。

終わった瞬間に涙が出てきて、止まらずしばらく泣いてました。。。

それはなぜか。
本当におこがましいのですが、過去の自分と今日の光秀が(さらにいうと光秀の追い込まれていく様が)同じに見えて辛かったんです。

こう呟いて、そしたら少し心が落ち着いたので、いつも見終わったらするのですが、尊敬するKEI-COさんの麒麟絵を見させていただきました。

真田丸のときから、毎週楽しみに拝見していて、もはやルーチン化してます。先日、先週の麒麟絵をリツイートさせていただいたところ、それがきっかけでTwitter上で少しやりとりさせていただき、ご本人にもお伝えすることができました。
本当に嬉しかったです。『麒麟がくる』についてもお話できて、心が踊りました。

今日の麒麟絵も、本当に美しかった。。。

🌟過去の麒麟絵はこちらで是非に!!
Twitter☞ KEI-CO @keico
note☞🌟


わたしが見る、『麒麟がくる』で描かれている明智十兵衛光秀像

ずっと、ずっと、『戦のない、大きな国をつくる』という想いを胸に、争いが起きないようことごとく目を配り、心を配り、嫌な思いをする者がないよう、いても最小限に済むよう、努めてきた(勤めてきた、務めてきた…全ての漢字が当てはまりますね)十兵衛。

子どもの頃から正義感が強く、未来を見据える目も持ち、新しいものに興味を抱き、素直で実直な性格。融通がきかず、頑固者。それでいて、基本的には穏やかで優しい。理想が高く、自分にも周りにも嘘がつけない。そして、実は秘めている野望は誰よりも熱い(かもしれない)。。。

その全てが、最後は彼を追い詰めていく。

『麒麟がくる』の明智十兵衛光秀は、わたしの目にはこんな風に映りました。

光秀の闇堕ち

あえて『闇堕ち』という言葉を選んでみました。
自分の正義を貫いた先にあるもの、それはときに世間からは『闇堕ち』と見られることもあると思うから。
そして、そう書いたのは、わたしが過去に経験したからです。

自分が自分を追い詰める、という事態が起こったとき、大きく分けると【A】止められるとき【B】止まらないときの2つがあると思います。

※さらには自分で止められるor周りが止めるなど複数選択肢で細分化していけますが、今回はこの2つで話を進めます。

今まで(第42回まで)、光秀は何度も【A】を選択できた。
それは、一言でいえばそういう星の下(本能寺の変を起こす)に生まれたから、といえばそうなんですが。避けられる運命にあったという。

ですが、あえてそれ以外の要因を考えると、周囲の環境(援助、出逢い・別れを含む人間関係、時の運、時代の流れ)、自分の年齢、置かれている立場、などなど、たくさんの要因があって、回避し続けることができたんだと思うんです。

でも、今回(第43回)で完全に【B】に振り切れてしまった。
過去にも何回もこの波は来ていたけど、上で書いたような様々な要因によって、また自分自身で立て直したりして、回避出来ていた。
でも、ここ数回でどんどん闇の波がきて、どうにかして光の方へ(闇堕ち、なので対局を光と表現しています)戻してはいたものの、とうとう対応しきれず、戻しきれなくなってしまった、ということですね。

信長の周りから人がどんどんいなくなっていることにフォーカスが当たってますが、周りからどんどん人がいなくなってるのは光秀も同じでしたもんね。

2人とも、追い込まれていった。そんな生半可な言葉で表現できる状態ではないと思いますが💦
なんなら、そういう目で見ると、信長も闇落ちしてますもんね。というか、先に信長が闇堕ちした。どの角度から見るかによって全ては変わってしまいますが、そういう意味では光秀は引きずり込まれた、共倒れしたとも言えますね…(でもそうすると話がズレちゃうんで、共倒れ説は脇に置いておきます)。

自分の『正義』を貫く

でも、本編で帰蝶様が言っていたように、信長を殺すことは、自分(光秀自身)を殺すことでもある。

なぜなら、「月へのぼる者」を止めようとして「闇に光る樹」を切ったら、その樹は倒れるからです。
「闇に光る樹」は、光秀の隠喩なんだと思います。

「月へのぼる者」は明らかに信長のことを指していました。

これはわたしの現時点での考えなんですが、「正義」って言い換えると「満たしたい欲望』だと思うんですね。
満たせている間は「正義」。
満たせなくなったら、それは「ただの欲望」。
諸刃の剣ということですね。

光秀がそうだったと言っているのではないです。
でも、『麒麟がくる』に描かれているとわたしの目に映る光秀像と、わたしは自分を重ねて、今、考察してます。

彼には彼の『正義』があった。
でも、それを貫けなくなりそうになり、終に貫けなくなった。
そこで、矛先が外(信長)に向いた。向かざるを得なかった。

わたしにも、わたしの「正義」がありました。
でも、それを貫けなくなりそうになり、終に貫けなくなった。
そこで、矛先が外(職場環境)に向いた。向かざるを得なかった。

おかしい、と思った。
そこに、魔が差したんです。

そこで、例えどんな魔が差しても、もし方向を変えられていたら、【A】を選択できていたら、また「満たせなかった欲望」は「正義」に戻り、自分を奮い立たせる力に変えられたと思います。

でも、逆の方向に刃を奮ってしまった。

広い視点で見たとき、どちらにしろ願いはかなってると思ってます。「正義を貫いた」ということは、「自分の欲望を満たした」ということなので。
だから、本当は正とか逆とか、光とか闇とかは無いんです。

でも、光秀の中に魔が差して、そしてそれが広がってしまったということは(闇堕ち)、それが彼の無意識下での願いであり、正義であったということかもしれない。

わたしが思う十兵衛にとっての魔とは、“『麒麟』を呼ぶ者が自分であったなら、という想い”です。
そして、その願いは妻である煕子が、死ぬ前に口にしています。「麒麟を呼ぶ者が十兵衛様、あなたであったなら」と。そう、おもっていた、と。

『麒麟がくる』のここまでの流れを少しだけ振り返る

ここで、少し話を遡ってみると…
※遡り過ぎると書きたいことを書くまでに時間がかかりすぎるのでごく最近に絞ります!

第36回「訣別」。
あのとき、本当に訣別したのは信長と光秀だった。光秀はあの時点では家族がいたので信長を選ばざるを得なかっただけ、つまり大切なものを選んだ結果信長を選び、義昭と「訣別」しただけなんで。

もう、信長は明らかに闇落ちしてますね。勘違いしている。
蘭奢待の話とかおかしいですし。帝は見ておられますね。

となると、義輝が死んだとき(第23回)に、1度光秀は死んでるかもしれない…。精神的死というか。野望はついえたはずだった。
…でも、義昭が「そなたとならやれる(麒麟を呼べる)かも!(うろ覚え)」とか言うから、消えたと思っていた過去の埋火が再燃してしまったのかな。
『麒麟がくる』ことの意味を、再度自分に問いかけたのかもしれない。

そして、ここから光秀もほぼ闇。
本人踏みとどまってるつもりけど、もう無意識下では本能寺まっしぐらですよね…
フラグもたちまくってますし。
外堀はがんがん埋まっていって。
最愛の妻も、娘も、いなくなる。

もう、出口がない。

そんな中でも頑張っていたけど、決定打のダメ押しが、今日第43回の「家康の饗応役」での失態(ということに信長がした)、ということですよね。
つまり、信長は自分で自分の死(社会的死/肉体の死)のスイッチを押し続けていて(そしてそれは光秀に対してのみならず)、光秀がどうにか喰い止め続けていた。でも、止め切れなくなった瞬間、最後にそのスイッチを押したのが光秀で、本能寺なんですね。。。

次回最終回。いざ、本能寺へ。

こんなに悲しい本能寺の変が、いまだかつてあったでしょうか。

こんなに、お互いの、皆の想いの届かない結果に、招かれざるを得なかった本能寺が。

もう、ただただ、見るしかないです。
見たくないけど、見るしかない。

ここまで書いてきた自分の気持ちや過去と、もっと向き合わないといけないかもしれない。
それはハッキリいって辛いです。

が、わたしも前に進まなきゃ。
道を選択しなきゃ。


過去に、選びたくなくても選ばざるを得ない道を選んだ身としては、何度戻っても、どんなに後悔してもあの道を選ぶ自分自分しかない過去を、そしてその先を、『本能寺の変』を通して、見させてもらおうと思います。



🌟公式サイト☟




🌟サムネイルの曼荼羅は、『飽和』というタイトルのもので、2019.4.9に描いたものです。
全体写真はまた別noteにupします☺️

追記:曼荼羅のnote、追加しました☟
良かったらご覧ください。

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