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見えないものを見るチカラ 10/05
10月になりました!
今月初の「ことのはたまご」を更新したいと思います。
9月末から久々に体調を崩していたのもあり、気が付いたら10月が5日目に突入していて、正直ちょっとだけ浦島太郎な気持ちのわたしです。
10時30分も過ぎたし、今日今からすることを整理しようとおもい、まず初めにタロットを引くことにしました(#のびタロ)。
78枚(大アルカナ22枚+小アルカナ56枚)から1枚引きをするのか、大アルカナのみからにするのか、少し悩んで、なんとなく78枚から1枚引いても大アルカナが出てくれる気がしたので、そうしてみました。
そうしたら、隠者のカードが出てくれたのですが、そこで受け取ったことを言葉にしていくうちに、「今日は、なんだかとても【裏】を見たい気持ちの日だな」と感じたので、表と裏、みたいな感じに言葉を分けて、上澄みだけの言葉と、それ以外の、この時点でわたしが"澱み"に分類した言葉とにわけてtweetしてみました。
なので、このnoteは、今日の1-Oracleの解体新書的な感じで、自分がそうしたくなった/そうした理由を深めたくて、書いてみています。
まず、こちらが件の《上澄み》。
本日のわたしの #のびタロ 。
内なる星のひかりを求めて。
— のびたまご ➳︎︎︎☉ (@nobi_ta_mago) October 5, 2022
答えは既にここにある。
#のびタロ pic.twitter.com/e7pIhcMlMT
そして、"澱み"の部分と、それを書いたことによりさらに出てきた言葉(果たしてそれは"上澄み"では無いのか?)を、まとめたもの。
見えないのは自分で見えなくしているから。見えなくなるのは感覚を思考に当て嵌めようとするから。感覚を思考に当て嵌めたくなるのは知ってることにしたいから。知ってることにしたいのは安心したいから。安心したいのは自分のままでいたいから。自分のままでいたいのは、既に自分が自分じゃなくなっていることを認めるのが怖いから。それを認めたら、ずっとここにいた見て見ぬふりしてきた感覚に向き合わざるを得ないから。その感覚こそが、わたしであると知っているからこそ、避けてきた自分と向き合わないといけなくなるから。
向き合っても向き合わなくてもここにずっとそのひかりはある。それはわたし自身だから、どんなときもわたしから離れることはない。見えないのは見たくないから、見ようとしないから、あえて隠しているから。その理由も、全部自分の中にある。向き合っても向き合わなくても苦しさは同じなのであれば、自分がそうしたくなったタイミングでそうすればいい。遅いとか早いとかはない。ただ、そのときがきたらそうなるだけ。抵抗があるなら抵抗と共にあること。その抵抗もまた、自分自身のひかり、1部であり全部でもあるのだということ。
なんか長いけど出てきたことを全部書いてみました。見えてるものは少しでも、奥にはたくさんのものが隠されている。だから今日は隠者のカードが出てきてくれたのかもしれない(そう思う)。見えるものだけを見ていると、その奥にあるものに焦点が合わなくなる。見るということをもっと深く知りたい。
つまり、「今日は、なんだかとても【裏】を見たい気持ちの日だな」というのは、この一連に連なることになった(そういう"上澄み"になった)言葉たちを見ながら、自分からアウトプットして感覚を言葉化して切り離すということをしながら、感じたことであり、多分私が今ふかめたい感覚そのものでもあるのだろうなと思っています。
※ あえて言語化ではなく言葉化といっています。
ここからは、その辺のことをわたしなりに分析してまとめて、言葉化したものを並べてみますが、読んでも意味がわからないことが多いかもしれないので、読む読まない、わかるわからないはあまり考えず、読みたい方は読んでみてください。
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