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母と私。私と娘。

今年の春、第一子となる娘を出産した。
毎日かわいくて仕方ない娘の成長にワクワクしながらも、娘との未来を想像したとき、ひとつ、心配なことが出てきた。

それが、母と娘の関係だ。

私は、母のことがあまり好きではない。いや、合わないと言った方が正しいような気がする。
別に〝嫌い”というとわけではないし、産んで育ててくれたことに感謝の気持ちもある。
ただ、この歳になっても反抗期かと思うくらいに母に対してイライラするし、嫌なところが気になって仕方がない。同性だからこそなのかもしれない。

正反対の性格の母と私

母は、誰にでもハッキリと物を言う性格で言い方もきつい。自分の考えが正しいと思っている。それ故に物事や人を否定することが多い。

私は、自己主張が少なく協調性を重視するタイプ。
必要以上に周りを気にしまくる。
今でこそ「まぁ、なんとかなるか」と思うことも増えたけど、色々なことを考えすぎて「私は生きるのが下手だなー」と生きづらさを感じることもよくあった。

娘に求めること

娘を産んで数ヶ月が経った。
いろいろと考える時間が増え、娘にこれからどうなってほしいかを考えたとき、どうしても母のことが頭によぎってしまった。
自己肯定感の低い私は、娘に自分のようにはなって欲しくないと、自分が母にされて嫌だったことを思い出しては「これはやらないように…」「こうやって言わないようにしよう」とそればかり考えていた。

〝人間の脳は、否定形を理解できない”

いつだったか何かで目にした内容。
【〜しない】と考えても、最初の部分だけが脳で切り取られて結局【〜してしまう】のだという。
理解できないというよりも、否定した内容を脳内でイメージ化してしまう。

となると?待てよ?
私が「母のようにならないように」と、考えれば考えるほど母を意識してしまい、あれだけ嫌だと思った母に近づいていってるのではないのか。なんとおそろしい。

母は私に何を求めていたのだろう。

私は娘に何を求めているのだろう。

〝こうなってほしい〟と求めることは親の希望であり、当たり前に湧き出る気持ちのようだけど、〝こうなってほしくない〟は、親のエゴでしかないような気持ちにもなり、またも考えがぐるぐる。

ただ、今思うことは、娘を1人の人間として、自分と違う価値観を否定することなく認めてあげたいということ。

母と私。私と娘。
良い関係を築いていけるように希望を込めて。

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