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無職と幽霊 4/1〜4/5

生きて!死んで!蘇る!
『マッドマックス  怒りのデスロード』

4/1


 エイプリフールなので嘘をつきたかった。Twitterに「幽霊と暮らしている」と書いて、ツイートせずに下書きへ保存した。嘘ではないからだ。今もすぐそこに寝転んで、漫画を読んでいる。「幽霊と暮らしている」という本当を、さもエイプリルフールの嘘のように書き込むことは結果的に嘘をつくことと同じではないか、と考えて、確かにそうかもしれないが、でも幽霊に悪いよなと思った。何か別の嘘にしよう。嘘、自分に都合が悪いことがおきたときはスラスラと口から流れ出るくせに、こういう時は少しも思いつかない。しばらく考えて「再就職しました」と書いてみる。これこそ立派な嘘だ。だが、虚しい嘘だ。そんなことは書き込んでいる時点で分かっていたが、画面に文章が完成するといよいよ辛くなり投稿をやめた。下書きにすら保存しなかった。結局、嘘をテーマに短歌を5首作ってツイートした。その日は俺も幽霊も嘘をつかなかった。

4/2


 歯磨きには熱心な方だと思う。
 一日三回の食事の後と間食をしたその後、そして朝起きてからと寝る前に必ず歯を磨く。マウスウォッシュもするし糸状のフロスもする。自分でもちょっとやりすぎだと思う。元々、そんな人間ではなかった。歯科衛生に真剣な女性と一緒に暮らしていたからこうなったのだが、しかしその頃はもっと雑に磨いていたしサボることもしょっちゅうだった。別れてからのほうがちゃんと歯を磨いている。彼女は去って、その習慣だけが俺の中に残ったのだ。面白いと同時に恐ろしいことだなと寝る前の歯磨きしながら思った。洗面所から部屋に戻ると幽霊が足のストレッチをしていた。立った状態で片足を後ろに伸ばしていて、太腿からつま先くらいまでが透明になったり現れたりしていた。幽霊はよくストレッチをしている。足だけでなく全身を満遍なく伸ばしている。幽霊なのに。いや、幽霊だからなのか。ちなみに俺はストレッチをしない。幽霊がいなくなったら俺はストレッチをするようになるのかもしれない。

4/3


 急にお腹が痛くなる。
 急にだ。予告してくれればいいのにと思う。予告してくれたら備えておくのに。腹痛がやってくるのは必ず夜で、夜の中でも遅い時間がほとんどだ。深夜、真夜中、夜の底。夜ふかししていると突然、お腹の内側をグーッと押される。眠っているときはそれで目を覚ます。またか……と思う。慣れないし慣れたくない。トイレに行って、あとはもう祈る事しかできない。腹痛は天災だ。なすすべは無い。やってきた時と同じように痛みは急に消えるが安心はできない。よろよろと部屋に戻った瞬間にまたやってくる。腹痛は天災だ。始まりも終わりも分からない。トイレと部屋を往復して、その合間に薬を飲み、お湯を飲み、祈る。どうか、治ってください。もう終わってください。腹痛の時ほど孤独な状態はないと思う。あらゆる病は孤独だがその中でも上位だと思う。部屋とトイレの往復の合間に寝室へ目を向けると幽霊は寝ていた。すやすや寝ていた。恥ずかしいからそのまま寝ていてくれと思う。だがそこにいてくれとも思う。腹痛は孤独だが俺の部屋には今のところ幽霊がいる。そのことに実はかなり救われている。

4/4


 桜は満開だった。
 来てよかったなと思う。川に沿って縦に伸びるこの公園の桜並木は、市のホームページで取り上げられるくらいには有名だ。今日も平日だというのに駐車場は満杯で、公園にもたくさんの人の姿があった。人ごみは苦手だが、桜のおかげで許せてしまう。公園の向こうの端まで行って戻ってこようと決めた。幽霊は桜が好きなのか、ニコニコしていた。そして、誰にもぶつからないのをいいことにどんどん歩いていった。俺もニコニコして、歩いた。すれ違う人たちに春の陽気だからと受け入れてもらえる程度にニコニコして、歩いた。いろいろな人がいる。競い合うようにブランコに乗る子どもがいる。ベビーカーをゆっくりと押しながら笑いあう家族がいる。手をつないで歩く老夫婦がいる。スマホを片手に決めポーズをする女子高生達がいる。公園の近くに老人ホームがあって、そこからやってきた一団は桜を背に写真を撮っていた。いろんな人がいる。俺も幽霊もその「いろんな人」の中の一人なのだ。幽霊が立ち止まって桜を見上げていた。俺も同じように見上げた。無職になってから、目に映ったものをしっかりと見るようになった。草、木、花、光、風。「木漏れ日」という言葉の意味を本当に理解したのは最近のような気がする。それともかつては知っていたことを思い出しただけかもしれない。風が吹いた。桜のピークは今日と明日だとニュースで見た。葉桜になってもまた来ようと思う。きっと美しい新緑に出会えるだろう。風に舞った桜が幽霊の身体を通り抜けていった。

4/5


 焼肉を食べに来た。
 ランチタイムはともかく混むというので終わり頃を狙ったのだが、店内はそれなりに混んでいて、さらに俺の次に入店した二人組のお客は「昼の肉がなくなった」と断られていた。申し訳ないなと思いつつ、今日は運が良いと考えてしまう。店の名前が付いているセットがおススメらしいと聞いていたので迷わずにそれを注文する。店の人がテーブルの上のロースターと呼ばれる焼き網が乗った箱としか形容しにくい調理器具のスイッチを入れると、瞬く間に網の上が熱気で揺らめいた。肉を待つ。どのくらいと具体的には言えないが、結構な時間を待てそうな気がする。幸福な待ち時間だ。俺の向かい側に座った幽霊が興味深そうにロースターを見ていた。俺もついついスマホでロースター、一人用と検索してしまう。決して安くはないが買えない値段でもないなと思っていたら肉が来た。牛、豚、鳥の勢ぞろいでそれと玉ねぎやピーマンなどの野菜も数種類ついてきた。幽霊が拍手をしていて、拍手こそしなかったがまったくその通りだと俺も思った。とりあえず野菜からか、と網に置いてからなんだか面倒になって鳥、豚と肉を置いていく。焼き肉なんて久しぶりだからどんな順番で焼いたらいいのかさっぱりだった。気がつくと、幽霊も楽しそうに肉を焼いていた。当然、一人分のセットしか頼んでいないので、あれは肉の幽霊だろう。その肉の幽霊を皿の幽霊に入っているタレの幽霊にちょんとつけて、それを茶碗の幽霊によそってある白米の幽霊にバウンドさせ、一緒に食べた。幽霊が震えるように笑顔になった。羨ましい。いや、俺もこれから食うのだけれど。それから負けじと俺も好きなように肉を焼いて食べた。気絶しそうなほど美味しかった。

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