のびさん、どうして小説を書いているんですか?
創作をする人たちが集まっている場で
「どうして小説を書いているんですか?」
と、聞かれたので
「だって毎日辛いことばっかりじゃないですか?」
と、答えたらその場にいた人がみんなぽかんとした顔をしていました。
こんにちは。のびです。
その時は慌てて「ほにゃららら」と取り繕ったけれど本当のことです。
だって毎日辛いことばかりじゃないですか?
過去を見れば後悔ばかりで、未来を見れば不安しかなくて、じゃあ現実の生活はといえば苦しいばかりでままならず、良いこともあったはずなのに何も覚えていなくて、頭の中に蘇るのは悪いことばかり。
大袈裟ではなく自分自身でよく生きているなと感心してしまいます。
不幸自慢をしたいわけではないのです。むしろ自分の辛さを相対化してホッとなんかしたくない。あの人と比べれば。あの国と比べれば。そういうのじゃない。自分の辛さは自分だけのものです。
あ、話が反れましたね。
なぜ生きていられるかというとですね……
小説、漫画、アニメ、ゲーム、映画、テレビ、絵画、器、カプセルトイ、民芸品などなどなどなど……この世のありとあらゆる創作物のおかげです。
キツめの冗談ではなくこれも本当のことです。辛いことばかりの毎日の中でそれ等は私にとって避難所、シェルターの役割を担っています。言ってしまえば気休めですけれど、無数の気休めがあるおかげで私はなんとか今日もこうしてキーボードをダカダカ叩けています。そしてその気休めの中には自分自身の創作活動も含まれています。
元々、自分にとっての創作はもちろん大事なものではありましたが、趣味に近い、もっとライトなものでした。それが今では自分にとって、逃れられない宿命のような……は言い過ぎか。ともかく必要不可欠なものです。そうなったのも長く生きれば生きるほど生きづらさを(ここリズミカルで良いですね)感じることが多くなって、既存のシェルターだけでは足りなくなってしまったんですね。だって、
まさか社会にでてから酷いいじめを受けるとは!!
まさかここまで思ったように生きられないとは!!
まさか一人の人間が生きるのにここまでお金がかかるとは!!
ね。生きていくというのはままならないことばかりです。嫌になります。
じゃあその恨み辛みをそのまま創作にするかというとそうではなくて、だってシェルターなので。自分自身で掘るシェルターなので。気休めでなくちゃあならないので。居心地が良いシェルターを作るように希望を込めて創作をしています。辛いことや嫌なことや苦しいことが全くない世界を描く、というわけでもなく、辛いことや嫌なことや苦しいことがありありの世界にも生きる価値はあるのだと、自分自身が思えるようなそんな物語を祈るように作っています。気休めですけれど。そうして物語を作っていると、たまに現実でもほんの少しだけ変化があったりして、ほんのわずかですけれど希望を持てたりすることが増えました。そのおかげで何とか生きています。スピリチュアルな話ではなくて偶然とか思考の話の話です。
そうやって生きているので、自分の書いた作品で誰かを救いたい!なんておこがましいと思いつつも、それでも誰かの気休めに、ほんの一瞬でも気休めになれたらといいなと思います。自分が誰かの創作活動で助けられてきたように。恩返しなんていうとまた大袈裟になってしまうし、在野の、アマチュアの、いい年の、口ばっかりの、人生を上手く生きていかれない人が言えることでもないんですけれど。がんばって書いていきたいと強く思っています。自分のためにも。誰かのためにも。
今度また
「どうして小説を書くんですか?」
と、聞かれたら
「生き抜くためです」
と、答えてぽかんとされていこうと思います。
(とはいえ、できるだけちゃんと伝わるように努力もしていきたいです)
ここまで読んでくださってありがとうございます。
どうか、あなたのシェルターが見つかりますように。
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