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C-Food

 その男がレストランに現れた時、店にいた全員が確かに雷鳴を聞いた。客たちは慌てて窓の外に目をやったが、そこには美しい夕焼けがあるだけだった。それから彼らはようやく闖入者に気がついた。
 濡れた男だった。たった今、海から上がってきたかのように全身が濡れている。男の格好はどう見ても船乗りだったが、それがさらに彼を「異物」に見せていた。この町が漁業で栄えていたのは昔の話だ。今は世界中から人々が訪れる美食の都、港には漁船の代わりに大型クルーザーやヨットが停泊している。
 給仕たちが男に声を掛けるより早く、厨房から一人の青年が飛び出してきた。美しい顔をした彼はこの店の総料理長だった。青年は男の顔を見るなり「親父」と小さく呟いた。そして、ぐしゃぐしゃに濡れた男を迷いなく抱きしめた。男のズボンから蟹が数匹逃げていった。
「準備が整ったんだな?」
 青年が聞くと、男は目に怪しい光を浮かべてウヒウヒと笑い始めた。それを見た青年もウヒウヒと笑い始めた。
「息子よ」
 男が上着のポケットから、どう見てもそのポケットには入りきらないであろう大きさの袋を取り出して、床に置いた。男と同じく濡れた袋の中で何かが蠢いていた。
「これで美味い飯を作ってくれ」
「息子を試すのか?」青年が挑むような目で男を見た。
「これは証明だ。俺は証明した。お前も証明するのだ。俺と、彼らに」
「彼らに」
「また、同じ時間に来る」
 濡れた男は水溜りを残して消えた。青年が袋に手を伸ばす。その瞬間、弾けた。飛び出したのは頭足類の足に似た何かだった。その何かが青年の顔を真っ直ぐに突き刺していた。店のあちこちで悲鳴が上がった。しかし青年は動じることなく立っていた。それどころか、飛び出してきた何かを口で受け止め、味わっていた。酸味、苦味、臭み。彼はその味を知っている。嵐。灯台。そして空腹。記憶が渦を巻く。青年は食材を噛みちぎると叫んだ。
「白ワインを!」
つづく


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