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SUGB 因果巡(3)

 四月。季節は順調に春へと移り変わっている。
 透き通るような青い空を落下する白球は、巡が必死に伸ばした新品のグローブの端に当たった。異常な重力の影響を受けたわけでも、抵抗できないほどの熱風が吹いていたわけでもなく、それはただのキャッチミスだった。そしてグローブにはじかれたボールは狙いすましたように巡の頭の上でバウンドした。驚きと衝撃に巡は身体をのけ反らせ、尻もちをついた。
「へたーくそー!」
 遠くで女性が笑っている。巡が取りそこなったボールは彼女が投げた。
 後頭部を刈り上げた真っ赤なショートヘアが光を反射して、炎のように揺らめいた。少年のような眼差しと女性にしてはがっしりとした体つき。お気に入りの黄色いフライトジャケットが陽光を受け、鈍く光っている。
 シュリ・マキシマ。巡の母だ。その笑顔は太陽のように眩しい。
 ボールは巡の背後、セントラルパークの芝生に着地し、数回跳ね、転がった。巡は照れた顔をして立ち上がると、ボールを追いかけた。
「メグル。ゆっくりゆっくり。気を付けて」
 遠くでもう一人、女性が笑っている。巡が取るはずだったボールは、次に彼女のもとへと行くはずだった。
 肩の辺りで切り揃えた黒髪は光を吸収したかのように艶やかだった。女性らしいしなやかな関節の動きで巡に手を振る。耳元には小さなダイアモンドのピアスがささやかだが優雅に光っていた。
 ディアナ・ペールライト。彼女もまた巡の母だ。月のように密やかな笑顔を浮かべている。
 因果巡には二人の母がいる。血の繋がらない、しかしキャッチボールを一緒にできるくらいに仲が良い、大切な二人の母がいた。

 第621次元。天の川銀河。Ω時空線。太陽系第三惑星。青い星。奇跡の星。地球。
 8年前、因果巡はこの世界に"落下"した。祝福にしてはあまりにも乱暴な閃光と共に落とされた。その光はこの世界に住む全ての者が目撃している。新聞にもTVショーにもネットニュースにも取り上げられ、SNSや動画サイトでは今でもその時の動画が拡散されている。しかし、その光の正体が赤子だと知っているのはこの世界でたった二人だけだった。
 因果巡の落下地点は、ニューアークシティー・セントラルパーク・オールドエリアにある球場跡地だった。建設から一度も使用されることもなく、そもそも完成したのどうかも分からないままに誰が何のために建てたのかすら忘れられてしまったその場所を、地元の人々は「忘れられた球場」と呼んでいる。ニューアークシティーの終わらない都市開発計画と終わらない緑地開発計画が生み出したキメラでありフランケンシュタインの怪物でもある奇妙な場所。色褪せたスコアボードに壊れた照明器具。バックネットもフェンスもない、ベースラインすら消え去った球場とは名ばかりのその場所に因果巡は落下した。昼と夜の境目の時間に。紫色をした空を駆け抜けて。一人で。音もたてずに。

(つづく)


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