続けてきたこと
私は絵を描き続けてきた、とは言えません。
小さい頃から絵を描いていました。だからといって賞を取ったり毎日本気で取り組んできたとも言えません。真面目に、吐きそうになるほど、デッサンに励んでもいません。そうしていれば良かったと、今になって思います。本気で取り組めば良かった、取り組む時間があったはずの10代のあの頃、20代のあの頃、全てが無駄だとは思わないけど、後悔はしています。あの頃もっと勉強して、もっと自分の絵と向き合えば良かったと。
それでも、その頃はその頃で私も色々と余裕がなく、生きることに精一杯で、生活というものが重荷になっていて、絵を描くどころではなかった、仕方なかったと、そう思えるようにもなっています。
そうやって、しかたがなかった、もうこれは趣味でいい、と割り切れるようになったのは実はごく最近のことで、ずっと上手い人に嫉妬して、自分で描いてみては比べようもない下手さに絶望して、その度に絵を描くことを楽しめない自分、努力をしてこなかった自分を嫌いになって恨んできました。だけど、人の目も、自分の目さえも気にせずに、ただ描けたときは、少しほっとして、やっぱり好きなんだ、絵を描くのが好きだと言っても良いのかもしれないと、一瞬でも思えるようになったのは本当に最近でした。
努力してこなかった自分の責任だと冷たく見るよりは、絵を描く以外の事で精一杯だったあの頃の自分を認めて許して、そして諦めたからこそ、また好きになれそうだと、だんだんと思えてきました。
仕事にもせず、趣味で楽しんでもいない私がこんな事を言うのもおかしな話ですが、昔から、これは呪いのようだと思っていました。一度みた景色を忘れられないように、頑張った時間や、描いていて楽しかった瞬間、頭や目をうんと使って、考えて、見て、観察し尽くして、自分の色を乗せる瞬間、その全てが頭から離れない。
思い通りにはいかないのに、もっと上手くなりたいとがむしゃらになっていた頃、挫折という挫折はしていないのに、徐々に削られていった私は、もうきっとどこかで自分自身に見切りをつけていて、一度辞めてしまいました。その時からずるずると今まで少し描いてはやめ、描いてはやめを繰り返し、ああこれは呪いだなんて大層な事を考えては、また描いて、絶望していました。
きっとこの呪いは夢を叶えないと解けない
そう思っていましたが、足掻いていた頃よりもずいぶん大人になって丸くなったのか、それとも足掻いて描いてはやめを繰り返していく中で整理がついたのか。叶わなくても、自分の中で落とし込めれば、それは呪いではなく、別のものとして寄り添っていける気がしました。
きっと私はこれからも絵を描き続けるし、続けていく中で自分なりの楽しさをまた見出して、いつかまた自分の視界を表現できるようになれたらいいなと思います。
私が続けてきた事、それは絵を描く事そのものではなく、なぜ描くのか、何を描くのか、どう描くのか、なんのために描くのか、考える事だったように思います。
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