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「熱意と目的を持たない子供への教育」について考える
仕事やプライベートを問わずに教育に携わろうと思ったのは、東ティモール独立直後のドキュメンタリー映像を見て、
熱意も目的も持たない自分が勉強できる環境にあるのに、熱意も目的も持っている子供達が勉強できない環境にある現実を許容できなかったから。
そこから、自分に出来る範囲で行動しようとし、知識や技能が必要だと感じて努力をするようになってきました。
最近は、タイトルにもあるように「かつての自分」のような子供が大半なはずで、そんな子供の悩みに応えようとすることも、大事な教育だと思っています。
特に、中堅私立大学生の指導をしていく中で、自分の目の前にいる大学生達は世の中の大半を占めていて、そんな彼らが社会を構成していることを考えれば、無下には出来ないはずだと思いました。
特別な人間を育てようとしている人は溢れているし、何より特別な人間は、教育によってそうなるもんでもないと思っているので、むしろ、特別じゃない子供達に熱意や目的を持たせられたら、そっちの方が有意義なんじゃないかなと思う今日この頃。
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