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光る藤原氏宇治陵へ6〜道長はどこに眠っているの?

宇治陵の聖地巡礼続きです。
今回は道長の墓所であるという伝承のある宇治陵32号を訪ねてみます。


宇治陵32号参道
宇治陵32号

宇治陵32号の隣には33号があります。

宇治陵33号

道長のお墓は今の木幡小学校よりも南、東宇治高校よりも西にある宇治陵32号であるといわれています。住宅地の中にポツンと存在していて小さな塚です。摂関政治の全盛を極めた道長さんの墓所としてはこじんまりとした感じがしますね。
今は廃絶してなくなっていますが、道長が藤原氏一族の菩提寺として造営した浄妙寺が木幡にありました。
長男の頼通が道長の墓参した時にこの浄妙寺の南門を出て道長の墓に行ったと記録があることから、浄妙寺から比較的に近くにあるこの32号を道長の墓所とする伝承がうまれたようです。

ただ現地踏破した感じでは、残されてる記録と浄妙寺との位置関係からここを道長の墓と考えるのに疑問点を感じるんですね。浄妙寺跡と32号墳との間には河岸段丘の高低差があって浄妙寺跡からはまっすぐに行くことはできません。近いかというと少し微妙な距離で結構な斜面の上にあります。そこで道長のお墓は他のところにあるんではないかと考えました。

道長が造営した浄妙寺跡(現木幡小学校)

藤原実資が書いた日記「小右記」には浄妙寺の東に道長のお墓があると触れられています。
浄妙寺跡の木幡小学校の東隣の茶畑と竹薮のある丘付近から中国の宋代の青磁水注がほぼ完全体で出土しています。その丘は宇治陵に指定されてはいないのですが、この青磁水注は道長墓の副葬品ではないかとみられているようです。同品は京都国立博物館に収蔵されています。

道長自らが造営した菩提寺の浄妙寺のすぐ隣にお墓が造られたとみるどうでしょうか。宋で作られた青磁水注が出土しているのも興味深いです。

真相は薮の中(竹薮の中)ですがなかなか面白い説だと思います。

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