無職日記84 手術

■前回までのあらすじ
親父が膵臓がんでした!手術の難易度上がるかも!

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「謎の液体」の検査が翌日に終わり、結果は「リンパ液」というコトがわかった。悪い液体ではないので、手術の難易度が少しだけ下がった。あとは体力を戻すために栄養を多く入れるのが次のステップ。太い血管に栄養を注入するのだそうだ。最初は首のあたりと聞いていたけど、最終的には腕から長い針を入れたらしい。それが心臓のあたりまで入っていたとか。聞いてるだけで股間のあたりがヒヤっとする。内臓が動くと良くないという理由で、かれこれ1ヶ月くらい点滴生活を送っている親父は、あっという間に10キロ落ちた。

そんなこんなで転院から約2週間。手術の日程が10/19に決まった。先生の説明によれば大体8~10時間が目安。体の負担を考慮して8時間で終えたいというのが実のところらしい。今まで淡々と説明をしていたのに、手術の日程が近づくにつれ、先生が饒舌になっていったのはちょっと面白かった。手術経験のある妹曰く「そういう人は「切りたがり」」なのだとか。

当日、家族はPHSを持たされ、朝から晩まで待機が必要とのことだった。夜遅くなるのは確定していたので、夕食も風呂も外で済ませようというコトになった。僕はと言えば充電器とゲーム、本と、暇つぶしの道具を揃えた。

手術のスタートは9時とのコトで、7時30分には病院に到着。しばらくすると母親の妹も来てくれた。そして9時に手術室のある棟へ。ベッドで運ばれるかと思いきや、親父は徒歩で手術室に入っていった。「頑張ってね」と握手した。握手なんて何年、いや何十年振りだろうか。弱っているのは当然なのだが、年齢的なものを感じた。親父、年食ったんだな。孫の顔を長く見るためにも頑張れよ。

9時に手術室に入ってからが、とにかく長かった。家族控室があったのでそこで基本待機なのだが、朝が早かったので車で仮眠を取ったりしたのだがまだ午前中が終わらない。昼食を食べて、控室に戻ってスマホいじったり、本を読んだり、ゲームをした。それでも時間が全然過ぎていかない。母親はというと、母親の妹共に何やら編み物をしていた(孫にあげるんだとか)。しばらくすると親父の友達、母の妹の旦那さんも来てくれた。

そろそろ日が暮れようかという頃、PHSが鳴った。時間は16時。ドキドキしながら電話に出ると「ご家族にお話があります」と言われた。この言い回しもまた心臓に悪い。

別室に呼ばれて待機していると、手術を抜けてきた先生が入ってきた。手術自体は順調に進んでいるのだが、膵臓の一部を検査したところ、どうも膵臓全部ががんに冒されている可能性が高い。よって一部切除から全摘出に変更する、という報告だった。それによって起こる弊害(糖尿病、食欲不振など)の説明と、許諾のサインを求められた。テンパった母親は許諾のサインを震えながら書いていた。それがわかったので、僕の方でできるだけハキハキと答えるようにした。

控室に戻り、そこからさらに3時間。再びPHSが鳴った。手術が終わったという内容だった。控室で先生と面談。問題なく手術は終わり、出血も思ったより少なく、今のところ転移も認められないとのコト。また震える手で母親がサインをし、麻酔が解けるまでまたさらに1時間の待機を指示された。

この頃にはもう辺りは真っ暗で、僕らもグッタリしていた。待っているだけなのだけど、逆に待っている「だけ」で何も出来ないのが、この疲労の正体だと思う。とにかく疲れた。

20時頃、三度PHSが鳴った。親父が目を覚ましたとのコトだった。ICUに入るよう促され、見舞いに来てくれた人達と一緒にICUに入る。予想していたような白衣を着せられるコトはなく、手の消毒だけで入れた。

促されて進んだ先に、ベッドの上で意識朦朧としている親父が天井を見上げていた。母親を一番に声をかけると「おう…」と返事をした。母親は泣いていた。僕も「お疲れ様。無事帰ってきたな」と声をかけ、手を握った。力は弱い。

長居しても負担かけてしまうので、挨拶もそこそこに切り上げて病院を後にした。各位に終了の連絡を入れ、夕食を食べ、スーパー銭湯に行った。帰ってきてから1人で晩酌をした。個人的に、仏壇の前でご先祖と死んだ祖父母(親父の両親)にも手術の終了を報告した。

長い1日が終わった。

つづく。

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