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The Whale of White Lie.

どうも、大変お久しぶりです。東風東です。
今回は先日全配信日程が終了致しました、劇団月光斜2021年度卒業公演「砂の鯨と偽りの国」についての記事となります。

団体の宣伝という訳でも、自分の宣伝という訳でもありませんが、下記ページからご視聴いただいた後の方がお楽しみいただけるかと思いますので、是非こちらもご参照ください。

タイトルはそのまま使うのもなんか違うなと思ったので、私が無い頭で考えたタイトルです。ぜってぇ文法とか無視してる。翻訳家って改めてすごいんだなと感じました。

さて、今公演。
コロナ禍の影響を受けました、去年の卒公から随分と状況は改善され、今年は舞台の上から皆様に作品をお届けすることができました。

未だ皆様とお顔を合わせて、生の演劇を体験していただけないという事は大変残念ですが、一つ上の代の秋公演から、少しでも前進した形で我々の卒業公演を打てたことは本当にありがたく思っています。

今回は役者でも、オペレーターでもなく、「脚本・演出」という非常に大きな役割をいただくことができました。
私事ではございますが、これまで生きてきた中でいくつかの脚本を作ってきましたが、そのどれもが広く世に出た事はありませんでした。
『パラレルタイムパラドックス』は、脚本としてインターネットを通じて発信することはできましたが、それを使った舞台を皆様にお見せすることは残念ながら叶いませんでした。

高校の頃から脚本も演出もやりたいと思っていた中で、大学生活最後の公演という節目のタイミングで、脚本演出をすることができたということは、間違いなく私にとって幸運で幸せな事だったと思います。

まだまだ荒削りだったかもしれませんが、今の私にとっては精一杯の脚本で、精一杯の演出をした作品である事は間違いありません。

この作品を受け皆様がどのような感想を受け取っていただけたかは私にはわかりません。それでも、少しでもこの作品を見ていただき、何かを感じてくださったのであれば、そんなに幸せな事はありません。
ご覧いただいた方々には心からの感謝の念でいっぱいです。

今までの公演後記を読み返すと、メゾンに至るまでは「次」「来年」そんな言葉たちが当たり前のように最後を締め括っています。
しかし、メゾンではそれがどこか特別なものであるかのように「次回」のことに触れて締め括っています。

変わってしまった日常の中で、当たり前だったことが一切当たり前じゃなくなって、今となっては新しい常識を飲み込んで、過去と切り離されたように生きている。
メゾンの時にも似たようなことを書いていましたが、今となってはまた違った意味合いが感じられます。

次があることが当たり前で、未来に希望を抱いて生き生きとしていたあの頃を思うと、先が見えず、一つ次すらまともにわからない中でもがき続けるしかない今が本当に苦しいのだと実感させられます。

もちろん、そういう状況だからとか、今回が卒業公演だからといって「次回」がないとは言いません。
劇団月光斜はこれからも続いて行ってくれるだろうし、何より私自身がこれからも創作活動に携わり続ける限り、皆様に「次回」をお届けし続けられるからです。

それでもどうしてもコロナが無ければとか、いろんなことを考えてしまうのは事実です。
失った一年間はあまりに大きく、我々の身の回りのことも全て変えてしまいました。

“それでも”なのか、“だからこそ”なのか。
それはわかりませんが、僕は今こうして一つの作品を完成させ、皆さんにお届け出来たこと、そして僕自身の劇団月光斜人生を舞台上で終わらせられたことを本当に嬉しく、誇りに思います。

この先の未来、いつかどこかで「この化け物の、命の尽きる声が」聞こえた時、僕たちはきっとどこかで新たな物語を紡いでいると思います。

その時にまた気が向いて会いに来ていただけるのであれば、今以上に感動できる精一杯の作品を、体験を皆様にお届けします。

本公演、本番放送の段階で様々なトラブル、不手際がございまして誠に申し訳ございませんでした。

そのうえでも、“ご来場”頂いた皆様、応援していただいた皆様、今まで一緒に作品を作ってきた全ての方々、その全ての人へ。
本当にありがとうございました。

それではまた「次回」
お会いできることを楽しみにしています。

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