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私の過去

幼少期から小学生時代

幼少期から小学生時代は特別問題なく過ごしていました

成績もオール5でしたし、幼少期は幼稚園の課外のようなものでピアノと英語(英語は小学生時代も)を習っていました。

特別問題なく過ごしていたと書きましたが、実は小学生時代、先述した英語の習い事の仲間にいじめられていました。なぜ相手がいじめていたのかというと完全に負け惜しみのような気がします。自分より出来るからといじめていたように思います。こんなこと書くと自意識過剰だと思われるかもしれませんが笑

あと、小学生時代私は、ミニバス🏀をやっていました。(途中からお父さんが監督に、、、。)
スタメンでそれなりに活躍出来ていたと思います。今でもその仲間は大切だし信頼できます。

中学生時代

ここから全て変わってしまいました

躁状態の時の成績は小学生時代同様良かったのですが、鬱になると全然だめで数学で21点とったこともありました。(いつもなら80-90点台はとれる。)

1番初めに鬱になったのは中1の体育祭後です。
私は実行委員をやっていて、その疲れが一気に来たのだと思います。
ちなみに私は学級委員も1年と2年の時はやっていて、所謂優等生でした

毎日原因不明の熱や怠さに見舞われ正直疲弊していました。
それでも心配してくれる先生や友達がいたので、学校には毎日行っていました

高校生時代(現在進行形)

高一の前半は、平均平日4時間休日8時間勉強していて、成績もよく、スーパーハイクラスに入れるほどでした
しかし、夏休み明け1つ目の模試が終わった後、当たり前のように調子を崩し、気がつけば学校を休むことが多くなり、学校に行けても教室には行けないそんな日々が続くようになりました。
それでも担任はいつも味方でいてくれて、学校に行くと言えば学校の玄関まで迎えに来てくれたり、私が保健室に居ることに対し反対的だった保健の先生と言い合ってくれたり、図書室で勉強を教えてくれたりして、すごく助かったのを覚えています。
今は通信制課程に移ってしまったので会えていないですが、いつかまた会えるといいなと思います。

病院へ行き始めたのも高校生からです。
お母さんは精神科に反対的で、小児科のかかりつけ医に薬を出してもらえばと言われた時はビックリしました。結局相談したその小児科医に筑波大を紹介されて精神科に行くことになるのですが。

高一の2/14にリスカと首吊りで初めて筑波大に入院して、病棟外に出てしまったところ、飛び降りようとしたと勘違いされて、こころの医療センターに飛ばされました。

こころの医療センターの1回目の入院は3ヶ月で、優しい看護師さんと先生に囲まれ、良かっです。結局この間で5回の入院をしています。

そんなところで、過去の紹介を終わりにしたいと思います。

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