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【映画】『エゴイスト』感想

2023年2月10日公開
映画『エゴイスト』

注:原作を読んでいないこともあり、ちょっとだけ偏った見方になるかもしれません。
追記:リンクを追加しました。文が変な終わり方だったので加筆修正しました。(2/17)

本作は高山真氏の原作を松永大司監督が描いた映画だそうで、LGBTQ+という表現でインタヴューが行われていた。
(参考:FCCJ外国特派員協会記者会見動画 by NB Press Online
主役である浩輔(鈴木亮平)と龍太(宮沢氷魚)が惹かれあっていく話 — 。
数年前にドラマ『おっさんずラブ』の映画化が全国的にヒットしたことなどを踏まえると、今なお需要や関心がより高まっている分野だと思う。
ドキュメンタリーを得意とする監督とあって、美しいだけではないゲイの生き方や想いを描いた作品だ。

一言でいうと、悲しい話だった。
誰かが死んだら悲しいとか、そういう意味ではない。
あまりに複雑な感情が入り組んでいたからだ。

結末は明かしていませんが、ネタバレを含むので、以下ご注意ください。










前半部分を大まかに振り返ると・・・

ゲイ仲間から新人のパーソナルトレーナーを紹介された浩輔だが、仲間内ではかわいいけどピュアすぎる、などと軽い雑談をしていた。
ところが逆に、龍太からの突然のキスによって関係が始まることになる。

浩輔のことを魅力的だと言うが、そこからベッドシーンまでの展開が早く、若いのに慣れた感じで、ただゲイなのかノンケなのかイマイチわからない。
しかし少なくとも経験はあるのだろう、ゲイに対する偏見などもなさそうだ。

そのまま2人は特別な関係になっていく。
するとある日急に龍太から「終わりにしたい」と切り出され、実は売りをやっていると告げられる。
そうして結局浩輔は、龍太を「買う」ことでヨリを戻す。

後半部分について詳しくは実際に観て確かめてほしい。
ただ、悲しい話だと思ったのは、その後半が理由だ。

いじめや侮辱された過去から地元を恨み、ハイブランドのファッションで武装して、東京で優雅な暮らしを送る浩輔に対し、龍太はシングルマザーの母親、妙子(阿川佐和子)と質素な2人暮らしで、龍太は高校も中退し、働いて家族を養っている。
浩輔は、健気な龍太を見て、妙子へのお土産や差し入れを渡したり、最終的には妙子の面倒を見るまでになる。

妙子は何となく、3人で食事をしたときに、浩輔が龍太の「大事な人」だろうと気づく。
そして、大事な人がたとえ男でも女でもいいじゃない、と龍太に話したことを浩輔に明かした。
龍太は答えに詰まったものの、「浩輔に救われた」と答えたと妙子は語った。

何が悲しいか、それは、浩輔も龍太も、まだはっきりとは、好きじゃなかったと思う。

龍太は売り(男性相手の風俗)をやっていて、おそらく浩輔がゲイだとすぐ気づいたはずだ。
ちょっとからかうぐらいの気持ちで、キスしたように思う。
ところが、思った以上に浩輔がいい奴で、楽しかった。
何の感情もなく男相手に売りができていたのに、なんかうまくできなくなった。
それで、浩輔とはもう会いたくないと言ってきた。

まるで恋愛をしたことがないかのように、自分自身の感情にも、相手にも、真剣に向き合うことはなく、ただ、何か重要なことだという感覚は、感じ取っていた。
まだ、愛し方も愛され方も知らない、そんな感じがした。
かといってこれが「好き」ということなのか、それとも罪悪感なのか、わがままなのか、確信には至っていなかったように感じた。
その分、ピュアで、天然で、愚直なところは、ゴダールの描くヌーヴェルヴァーグの映画のように魅力的なキャラクターだ。

一方で、浩輔は、自分や誰かを守るために、対価を支払う。
もちろん無償の愛があることもわかっているだろうし、ただ楽しくて一緒にいられたらいいとも思うだろうけど、それを維持するために、或いは繋ぎ止めるために、失わないために、結局お金で解決する方法を取る。

年齢的に大人である部分を含め、何かをしてあげたいという気持ちが、愛なのか、浩輔もまた、愛し方も愛され方も忘れてしまった感じがした。

ファッションで自分を守り、(おそらく一流の売れっ子)編集者という立派な肩書きを持ち、普通以上の収入と田舎ではあり得ないお洒落なマンションでの生活を、きっとそうやって保ってきたからこそ、表面の自分との間でそうしてしまうのかもしれない。

妙子を想う龍太への気持ちだけでなく、母親を亡くし、ゲイであるせいで母親までもがバカにされたことで、どこか母親と重ね合わせて妙子に何かできないかと考える。
それが生活費を渡すことや、寿司や高級フルーツを差し入れすることだったとしても、妙子は浩輔に対し、(妙子と龍太の)2人のことを愛してくれたと言い、それに対し浩輔は「愛が何なのかわからない」と答えた。

観た人や演じた人が、こういう愛の形もある、ハートフルで素敵な関係だ、と思っても、何の間違いもない。

カナダの奇才グザヴィエ・ドランは、男性同士の恋愛映画を多く描き、自身がゲイであることから、自ら監督・脚本・主演を務める作品も多い。
どちらかというと美青年を起用する傾向があり、彼自身の好みが反映されたものだと言われている。
たとえストーリーに何らかの考えさせられるような状況があったとしても、多くの場合ドラマとしては切なくて美しく、観やすいのが特徴だ。

性別や逆境を超えた恋愛を、多くの視聴者が美しいと思いがちであるところは、まだリアルじゃないのだと感じている。
もちろん、馴染みのないテーマであれば、見るに耐えない憎悪劇よりも、ある程度若くてキレイな俳優だったり、ハッピーエンドや美しい話のほうが、受け入れてもらいやすいし、共感を生んだり、ポジティブなイメージも持ってもらえるかもしれない。

しかし、浩輔と龍太の2人は、一見愛し合っていたようで、実際にはどちらも、愛するとは何なのかわからず、最後までその答えを見つけられなかった、そんなふうに思った。

本物の愛とか本当の恋愛というものがあるのかどうかわからないけれど、事実、男性同士の恋を否定されることも軽蔑されることもすごく辛いことだし、でも2人の中には、どこか本物の愛や本当の恋愛ではないような、微妙な空虚さがあって、それをお互い薄っすら感じているというか、そんな状態にもかかわらず妙子が2人をごく自然に肯定してくれたことが、何とももどかしく、苦しくも思えた。

20世紀の終わりに、ウォン・カーウァイによる『ブエノスアイレス』という香港映画が話題を呼んだ。
様々な背景から主役にダマで出演を依頼し、蓋を開けたら男性同士の恋愛映画だったため、演者が激怒し、何度も揉めて、途中でとんだりもして、何とか完成したこの作品は、ロードムービーとしての描き方や特にラストシーンのカメラワークなどが全世界に絶賛された。

特殊なシチュエーションだったからというよりも、監督または作品としての評価が高く、しかし男同士の描写をリアルに描きすぎたため、かなり強烈な印象を与えたのも事実だ。
冒頭から暴力的なほどに交じり合ったかと思うと、今度は殴り合いの喧嘩をしたり、その辺りは力の強い男同士ゆえの、男女とは違う独特のもののように感じた。
アジア映画特有の路地裏やブルーとよく合っているというか、言葉を選ばずに言うと汚い部分をかなり描いていた作品だった(当時そのような印象を受けた)。

この『エゴイスト』という映画では、出演者に演技に関する事前許可を取るルールが設けられていたそうで、LGBT以外にも、たとえば精神的または物理的に誰かを傷つけるような内容や思想などが関係する場合に有効であり、とても画期的だと思った。

また、作品そのものには、LGBTにかんする問題提起や社会的メッセージは、特には感じられなかった。
どちらかというと、この作品がメディアでどう報じられるかのほうが、そのような意味合いや影響力を持つ可能性が高いだろう。

好きは好き。でも、純愛かというと、たぶん違う。
ただ、浩輔の父が亡き母に言った「出会ってしまったんだからしょうがないだろう」という言葉が唯一腑に落ちた気がした。

公式サイト:https://egoist-movie.com/

TOHOシネマズをはじめ、LGBTに配慮してレディースデーを廃止する映画館が増えています。
映画好きに男も女も関係ない。


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