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神は誰だ

わたしは、触れられるものに祈ったりしない。


小学校の同級生に、不登校になった女の子がいた。
とても長い髪を三つ編みにしていて、バレンタインのチョコレートを手作りするような、とても女の子らしい子だった。


不登校になったきっかけは、わからない。
それでも母親伝てで毎朝迎えに行くようにと言われ、真面目だけが取り柄だったわたしは、彼女の家に寄り結局1人で登校する日を送った。

いつ迎えに行くのを辞めてしまったのかは忘れたけれど、それから彼女を見ることは一度もなく、我が家は父親の転勤を経て引っ越しをした。


20歳を過ぎてすぐ、約10年会っていなかった彼女が、わたしを訪ねてきた。
大学生でバイトや遊びに忙しく、一人暮らしの友人も増えて家に帰る日が少なくなり、数回訪ねてくれた彼女に会うことなく伝言を聞いただけになったが、その伝言が奇妙だったのだ。


「友人のお父さんが初出馬するため、投票して欲しい」

母は付け加えて「もし会ったとしても、絶対に驚いた顔をしては駄目」と言った。


可愛いらしい彼女が大人になり、美しい見た目を想像していたのだけれど、ネガティブな言い方を聞いてからは、期待するのを辞めた。


それからまた数年が経った。
社会人になったわたしが帰宅すると、玄関に誰かがいた。

名前を呼ばれて面影の残る顔を見て、そして私は驚いてしまった。
「俺のこと、わかる?」

理想的な女の子だった彼女は、逞しく凛々しく精悍な顔付きの男の子になっていた。

わたし達は空白の時間にあった出来事や、今何をしているのかなど沢山のことを話した。


すっかり男性になっていた’彼女‘は、医学部に通っていると言う。
そして、ある宗教の熱心な信者であった。
熱狂的とは違う。
冷静な雰囲気を持つ‘彼‘は、親の意思を継ぎ信じるものについて語った。


淡々と話し終えた後「興味ある?」と聞かれた時に、無宗教のわたしは初めて、自分の信じるものについて考えた。


わたしは、何に対して祈っているのだろう。

いわゆる日本人にありがちな無宗教の家庭であり、お墓は仏教のもので、初詣には神社に行く。
厄祓いにも行くし、憧れの結婚式場には本格的な教会が隣接していた。

そんな中、大事な時にお願いするのは、天国のおばあちゃんにだった。
祖先崇拝というらしいが、あまり深く考えてのことではない。

信じるものがあることで、自分は性同一性障害という辛さを受け入れる強さを得られたのだと‘彼’は力強く言った。

ただ聞き流すだけのわたしに、彼は綺麗にラッピングされたものをくれた。
「遅くなったけど、手作りのバレンタインチョコ」

男の子から、全てが女である私がチョコを貰うのは逆な気もしたが、ありがたくちょうだいした。


彼はそして「やっとスッキリした」というようなことを話し、「だからもう来ないね」と言った。

驚愕の再会ではあったものの、これから友達になるものだと思っていたので、さらに驚いてしまった。


今でも忘れない。


彼は寂しそうにするわたしに静かに言った。
「しあわせな人には宗教は必要ないし、しあわせになりたい人に俺は必要ない」

ずっと好きだったひとには、普通の恋愛をして、子どもを産み育て、笑顔でいて欲しいと。


バレンタインデーに、わたしは初めてサヨウナラという愛の告白を受けたのだった。


あれから随分経つけれど、私は未だに祖母にお願いする。

触れられるものに、祈ったりしない。

叶えてくれるのは、おばあちゃんと、そして自分の努力だけだと思っている。


【書き殴りの吐露にお付き合い下さった方。もしいらっしゃいましたら、ありがとうございました】

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