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【映画感想】ケイコ目を澄ませて

年明け一本目に見てきた。とても静かで、しかし力強い作品だった。1シーン、1カット、あらゆる瞬間に妥協はなく、滲み出る空気感まで洗練されていると感じた。

本作には原案があるということであるが、監督のインタビューを読んではっとした。本作では、原案を原作としてそのまま再現するのではなく、原案の本質(コア)を抽出し、それを更に練り上げて映像作品に昇華させている。
個人的な好みではあるけれど、原案(原作)がある映像作品は、これが理想的な作品化ではないかと思うのだ。原作に限りなく忠実な作品化であれば、原作を読めばいいと思うし、やはりそれを超えることはできないと思う。映画として改めて作品化する場合は、別の作品として製作して欲しいと思う。その場合、原作の何をそぎ落として、何を肉付けするかが大切になると思うのだけど、『ケイコ』は本当にそれが素晴らしい。(もっともこれは原案を読んでから最終的に判断したい)
監督は原案への愛と解釈を相当深めて臨んでいるのだろう。

ケイコはろう者のプロボクサーであり、昼間はホテリエとして働く、非常に努力家であり素晴らしい人物ではあるものの、浮世離れした天才などでは決してない。生き方に迷い、惑い、周囲を振り回すこともありながら、それでも希望を手繰り寄せながら、歩いていく。
これは現代を生きる聴者を含むぼくたちとなんら変わりがない。彼女は哀れでも可哀相でもなければ、孤高の天才でもないのだ。確かに生活する上では不便もあるかもしれない。それでも、彼女が抱える人生の課題は誰にでも訪れるものだ。誰もが人生の岐路に立った時、ケイコのようにその目を澄ませ、現実を見極め、選ばなければいけない。
だからこそ観客は、ケイコの生き方に自分を重ね、作品に没入できるのではないだろうか。

友人たちとカフェで食事を楽しみながら手話で談笑するシーンは、個人的にとても好きなシーンの一つだ。パンフレットで読んだが、岸井ゆきの以外の2人はろう者であるとのこと。言葉が正しいかはわからないが、このシーンの3人は障がい者であることを全く感じさせない。それは音が聞こえているということではなくて、景色の良い川べりのカフェで、ビールを飲みながら、友人と会話を楽しむという、その歓びに、聴者もろう者も関係ないのだということを伝えてくれているからである。 
ぼくは映画や本などに結構触れるから、障がい者に対してのバリアというものは、少ない方だと思っていたけど、実はまだまだそんなことはなかったのかもしれない。
彼女たちの休日のひと時を観ることで、本当に、改めて、聴者とろう者に違いなんて何もないんだと気づかされた。
また、このシーンは字幕がないのも粋な演出だ。彼女たちにとって、手話は会話の手段に過ぎず、その内容を文字で説明する必要はない。ぼくたち聴者は、その会話内容に思いを馳せるのみだ。

この作品の大きな特徴として、劇伴がない。そういった映画を視聴するのは初めてではないが、やはり独時の雰囲気が纏われる。電車が線路を震わせる音、雨だれが屋根を叩く音、何気ない自然の音が、力強く響き渡る。だが、それらの音も、ケイコの耳に届くことはない。
この演出の意味を考え、吟味している時点で監督の演出は成功しているのかもしれない。
詳しくはパンフレットに監督のインタビューで語られているので、興味がある方は是非。
この作品の音は静かだけれど、力強い。それは確かに、嘘のない音だからかもしれない。
また本作は、映像も美しく温かみがあり、嘘っぽさがない。言い換えれば、ドキュメンタリー性が強い。16mmフィルムによる撮影がピタリと嵌っているのも当然あるだろうけど、やはり撮影の技量に因るところが大きいのだろう。

本作はまた、登場人物みな人間味があり、そして優しさに溢れている。少々都合が良すぎる気がしないでもないけれど、それもケイコの人柄、生き様に引き寄せられているのだと思う。
当然、それはケイコがろう者であろうとなかろうと関係がないのだろう。

最後に。
コロナ禍で街中の誰もがマスクを着けているが、その結果、ろう者は相手の口の動きが読めず、話をしているかどうかも判断が付かず、苦労していることが分かった。そういった視点に気づかせてくれたことも本作には感謝したい。 


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