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【映画感想】不思議の国の数学者

※ネタバレ注意※

 シンプルに素晴らしい、王道の人間ドラマだった。エンディングも爽やかなハッピーエンドで、涙が止まらなかった。こんなに素直に泣けるのは久しぶりかも? 

 ストーリーは、進学校の落ちこぼれ学生と正体を隠して生きる天才数学者が偶然出逢って交流を深めるという、ややご都合主義的展開ではある。しかし、それを感じさせない骨太の展開、細かい部分の作り込み、韓国の世相を反映させた社会派ドラマ的側面、随所にみられる繊細かつ大胆な演出と、まさに傑作といっていい。
 また、主演の二人の演技が光る。落ちこぼれの高校生ジウは決して怠惰な学生というわけではないのに、自らの不遇な環境も相まって、周囲に追いつけない。しかしそれでも卑屈にならない真っすぐさ、素直さを持ち合わせている。キム・ドンフィはそんな等身大の高校生を過不足なく演じていると感じた。ハクソンは、悲惨な事件で息子を亡くした過去と、脱北した天才数学者という正体を隠して生きる警備員だ。世捨て人のようなぶっきらぼうさを表面に纏いながら、内に秘めた数学への想いをどことなく滲ませる、これまた好演だった。(オイラーの公式への愛を語るシーンでは、もはや、”どことなく”、ではないが)

 本作では、表題にもなっている通り、『数学』が、物語の大きな要素であり、主役の二人を結びつけるきっかけにもなっている。学生時代、数学に苦手意識を持った人は多いのではないだろうか。ぼくも理系の道を歩み、技術者の端くれにはいるものの、数学は決して得意ではなかった。一つの理由として、高校数学からは解答だけでなく、そこに至るまでの過程が評価対象になる点が挙げられる。自分の考えを言語化、数式化して、それを解答欄にまとめる事が求められるのである。予備校の数学の先生は「一つの作品を作るように解答を作れ」とよく言ったものだった。
 そういう意味で、ハクソンの「正解を出すより答えを導く過程が大切」という言葉は、痛い程身に染みて分かる。ただ、それを意識することで、数学はもっと楽しくなるのではないかと、今更ながら思うのだ。生憎、ぼくにはハクソンが現れなかったせいで、数学は受験のためだけに学ぶものであり、解答を導くための道具に過ぎなかった。本作には、韓国の苛烈化する受験戦争へのアイロニーも含まれていると思うが、日本も似たようなものではないだろうか。学問は受験のためだけに存在するものではなく、それ自身に学ぶ価値がある、ということをもっと学校で教えるべきだと思うのだ。
 
 また、本作では数学に加えて、音楽という隠し味が絶妙に効かせてある。ハクソンとボラムが円周率ソングをピアノ演奏するシーンは、個人的に大好きだ。曲自体の美しさもさることながら、およそ出逢うことのなかった二人が、数学と音楽という共通言語を通じて、かけがえのない時間、空間を奏でている、素晴らしいシーンだと思う。しかし、円周率を楽譜に翻訳する、というのはこれまでにも誰かが考えていそうだが、実際どうなんだろうか。いずれにしても、いまだ果ての見えない円周率という謎めいた暗号を、音階の世界に登場させることで、唯一無二の旋律が姿を現すというのは何ともエモーショナル。まるで、神様がこっそり仕掛けた悪戯に気づいてしまったようだ。

 最後に、二人の秘密基地である、地下の科学室の描写が素晴らしいと感じた。現実と幻想の狭間で揺蕩うような世界観に加えて、世界の片隅のような密やかさも湛えており、本作に欠かせない雰囲気を作り出していた。人は誰でも、ふとした瞬間に取り出して磨きたくなる宝石のような思い出がある。この場所で重ねた時間が、彼らにとってのそれであったのだと思ってやまない。

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