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僕がノアの広報担当になった理由・花澤

『プロレスリング・ノア』広報担当の花澤です。僕は約4年半ほど前からノアに関わらせてもらっています。今回は初回ということで、どうして僕がノアの広報を担当になったのか、経緯を書いていきたいと思います。

2013年、株式会社ブシロードさんでカードゲーム『キング・オブ・プロレスリング』を担当した。僕が格闘技業界に入って最初の仕事だった。それから3年半ほど経った2016年の春、ブシロードさん協力のもと、キックボクシングイベント『KNOCK OUT』を立ち上げた。当時16歳だった那須川天心選手の試合に影響されての出来事だった。今思い返してみても、格闘技が大好きだった自分にとって、夢のような仕事だ。

しかし、数年も経たないうちに立ち回りがうまく出来ず、心身ともに疲弊してしまい適応障害になった。その後はプロレスや格闘技を離れ、業界から少し距離を置くようにした。自分の立ち回りの悪さから来た話とはいえ、正直もう格闘技はこりごりだと思っていた。


そんな中、当時ノアの取締役をしていた武田さんから連絡があり、久々に会うことになった。率直に「プロレスリング・ノアをやることになったから手伝ってほしい」と言われた。

業界と距離を置いていた僕は迷った。プロレスはいつだって好きだ。だけど、また仕事にするのはどうなんだろうか? 悩んだ様子の僕を見て、武田さんははっきりとした口調で「ノアは絶対に面白くなるから! 1回見に来てよ!」と言った。

後日、後楽園ホールにて久々にノアのプロレスを観戦した。大体の選手は知っていたので、小川選手、丸藤選手、杉浦選手などが出てくると、「やっぱりカッコいいなぁ!」と、純粋なプロレスファンとして楽しんでいた。

衝撃的だったのは中嶋勝彦選手。鬼気迫る迫力の蹴りに圧倒された。僕が知っている中嶋選手は「爽やかなお兄ちゃん」という感じだったのだが、いつの間にか妖艶な風貌に変化していた。

一番の驚いたのは何と言っても清宮海斗選手だった。僕が最初に清宮選手を見たのは、新日本プロレスが主催していた『LION'S GATE』という若手主体の大会に参戦していたときだ。当時10代の彼は緑のパンツを履いた好青年で、正直に言うとよくいる若手のレスラーをいう印象だった。

それからたった3年。22歳という若さで団体のチャンピオンとなっていた。ずば抜けたプロレスのセンスと、チャンピオンベルトから放たれるスターオーラ。まさに向かうところ敵なしといった様子で、僕だけでなく会場中が釘付けになっていたと思う。

観戦後、シンプルに「ノアは面白ぇ!」と思った。

ベテラン勢のバチバチの試合に、負けじと若手が台頭してきている。武田さんが、「ノアは絶対面白くなる」と言った意味が、たった数時間でビシビシと伝わってきた。プロレスに対する情熱が再燃した日だったと思う。

ノアは面白い。もっと大きなPRを仕掛けていったらどうなるんだろうか。そんなことを考ると毎日ワクワクが止まらなかった。当時タイトルマッチを後楽園でやっていたノアだったが、この規模で収まる団体ではないと思った。そもそもノアは、かつて日本武道館や東京ドームを満員にしていた団体だ。イケる、イケるぞ! 僕はやっぱり格闘技が、プロレスが、大好きだったんだ。

「もっともっと多くの人にノアの面白さを広める!!」そう決意して僕はプロレス界に戻った。あれから4年。ノアは大きく変わった。サイバーエージェントの傘下に入り、ABEMAやWRESTLE UNIVERSEで生中継を実施。悲願だった日本武道館大会を開催した。11年ぶりの武道館、選手だけじゃなくスタッフの目にも涙が滲んでいた。

そして、来る7月16日、僕が4年前に釘付けになった清宮選手は、レジェンド武藤敬司選手とシングルマッチを行う。会場はノアの聖地・日本武道館。武藤選手の引退ロードの第1戦だ。

4年前、こんなことは誰も想像していなかった。ぼんやりと描いていたノアの栄光の未来は、今確実に僕たちに見えている。ノアはきっと、プロレス界No1の団体になる。僕はやっぱり、プロレスが、ノアが、本当に大好きだ!

少々長くなってしまいました!「今のノア」の熱さ、おもしろさが、少しでも伝わりましたでしょうか。

今後もこちらのnoteで発信を続けていきますので、「この話聞きたい!」や「こんなこと書いてほしい!」などのご意見やご感想があれば、noteのコメントもしくはTwitterにてお知らせしてくれると嬉しいです。

『プロレスリング・ノア』広報担当、花澤でした。


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